20130515

頷きと表情に頼った






その上品な初老の女性は人の話しを理解できた
頷きや表情で感情を表現できた
でも自分の考えを言葉で表出することが全くできなかった


杖を使わずにうまく歩くことができるけれど
右側の世界に関与することが難しくて
戸惑いと気付きの繰り返しで彼女の時間は支配されていた


友人がとても多いのだと家族が教えてくれた
いつも彼女の家に友人が集まっては
彼女がコーヒーを入れて友人を迎えていた


彼女の過去を直接知らなくても
彼女が友人との時間と空間を大切にしていたことがわかった


友人がお見舞いに来たときの笑顔は
一番素敵な笑顔だったから


毎日作業療法室の午後はコーヒーの良い香りがする
話せないことが交流を隔たる理由になってほしくないから
コーヒーを入れる練習を毎日していた


彼女はカップを探せないことがあった
手順に混乱して視線でいつも作業療法士に助けを求めていた


誰かがいつでも助言できる環境であれば…
それが彼女の遂行の前提だった








窓から見える新緑がとてもキレイな午後だった
たぶん14時を過ぎた頃だったと思う


作業療法室の少し大きなテーブルには
セラピストとクライエント4名が座っていた


各々の作業を遂行しながら
雑談を交えて和やかな雰囲気だった


彼女もいつものように頷きや表情でその場に参加して
素敵な笑顔を見せていた


しばらくすると突然彼女が立ち上がり
隣の台所の方に歩きはじめた


セラピストが「そろそろコーヒーの練習をしましょうか」と彼女を追いかけると
彼女は担当セラピストを笑顔と手振りで制止した


彼女は1人でヤカンを探して
蛇口をひねって水を入れた


一度火にかけたけれど
少し考えた後で一度火を消した


水をもう少し足した
再び火にかけた


彼女の目線よりも上にある戸棚を開けて
インスタントコーヒーと砂糖を出した


しばらく引き出しを探してティースプーンを1つ出した
僕達はずっと遠目で見守っていた


カップを探すことに手間取ったけれど
4人分のカップを準備した


お湯が沸くと火を消して
コーヒーと砂糖を入れたカップに注いだ


インスタントコーヒーの大きな瓶が邪魔になると
一度ヤカンを置いて瓶を横にずらした


4人分のコーヒーが出来上がると
彼女は笑顔でこちらを振り返り
少しだけ声を出した


今まではセラピストの促しで遂行してきた作業だった
今までは練習として遂行してきた作業だった


今日のコーヒーは彼女が自分の意志で入れた
今日のコーヒーは彼女が僕達のために入れてくれた


僕達は今にも泣いてしまいそうで
その時だけ頷きと表情に頼った




僕には感動がもう一つ
それは彼女が僕のクライエントではないってこと




(中略)患者さん自身の能動性.あるいは内発性という問題を強く意識するようになった.これをどうしたら促すことができるか,ということに強く興味を引かれる.作業的存在であるとは何らかの意味で,たとえ部分的であっても,能動的であることだろうと思うからである.これまでの作業療法実践の経験の中で,私の関わりが何らかの意味をもたらしたと思われるケースはすべて,患者さんが何らかの能動性を発揮するに至ったケースである.作業療法としては失敗したと思わざるをえないケースはすべて,能動性を引き出すことに失敗したケースであった.(中略)私は作業療法が ”当たり前” を扱う職業であることを受け入れた.これも若いときには専門家らしさの欠如とみていた側面である.だが障害者とは ”当たり前” を奪われた人あるいは奪われかかっている人のことである.リハビリテーションはその ”当たり前” を取り戻す仕事なのだ.考えてみれば,”当たり前” を取り戻すとは,人権思想にほかならない.これが大切でなくて何だろう.”当たり前” にはひとの願いが詰まっている.実現するにはたくさんの切り口が要る.それを追求することが作業療法のおもしろさなのだ,といまは思う.(鎌倉矩子:作業療法の世界より抜粋)




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