20121007

「変える」より「気付く」にむけて




今夜は来週のミニ勉強会のスライドを作っています.
対象は回復期病棟の全スタッフなので,作業療法の話ではありません.
今回のテーマは認知症ケア.タイトルは「空間は1つ,世界は2つ」です.


今回の勉強会では,BPSDなどの症状に関する説明や
バリデーションなどの各種技術についての詳しい話は一切しません.

「空間は1つ,世界は2つ」
この言葉の意味を考えるギミックだけを準備する予定です.


現在,認知症者に対する様々な「手段」が提唱されています.
しかしながら,普段臨床に従事していると,これらの手段を効果的に
活用できていないと思わざるをえない場面に多々遭遇します.

私たちは皆それぞれの価値観や経験を踏まえて
世の中の現象を,見て,感じて,解釈して,行動しています.
1人として同じ人間がいないのに,何とか調和がとれているのは,
それぞれから見た「世界」を構成している根本的な原則に共通点が沢山あるからです.

日時,場所,立場…‥etc.多くの基本的な事柄を
「共通認識」できているという認識下の「前提」があるからこそ,
私たちは環境とのやり取りの中で混乱や破綻をきたすことなく
日々を過ごすことができています.

僕は自分がバラだと思っていた花を,
周囲の人たちから「これは似てるけどバラじゃないよ」と指摘されれば,
「あぁ,そうなんだ,自分は間違って覚えていたんだな」と納得できます.

しかし自分の娘を指さして,
「あの子はあなたの娘じゃないよ」と指摘されれば,
とても納得することはできません.頭の整理がつかず,混乱し,
出口のない迷路に迷いこむような感情に支配されるでしょう.

何を言いたいのかというと,人間は,「普遍的世界」と「可変を容認できる世界」の
2つの世界を持っているということです.

もちろん,時間の流れの中で,各々の普遍的世界の概念も更新され続けます.
あくまでも,ある瞬間における普遍的世界と可変を容認できる世界という意味です.

認知症者との関わりの質の根本を担保するのは,自己の普遍的世界の扱い方です.
「自分の普遍的世界は,目の前の相手にとっても共通である」という認識を
否定することができなければ,どんなに素晴らしい認知症ケアの手段も形骸化します.

関わりの中で,目の前の認知症者の「普遍的世界」を図り,自分の普遍的認識を
同期させる作業から,認知症ケアは始まります.

この要素を常に大切にすることができれば,特別な介入スキルを学んでいなくても,
認知症者に害を与えるような対応は極めて少なくすることができるはずです.

認知症者の普遍的世界に自己の世界を同期して,その世界の中で認知症者に安心を
提供し「続ける」ことがケアの基本です.

認知症者は,程度の差はあれど,当然記憶の継続性にも問題を抱えています.
安心という感情は,一度の説明や納得によって得られるわけではありません.
あくまでも安心や快の感情を蓄積し続けることが重要です.

ですから認知症者のケアは,1人のエキスパートがいるだけでは成し得ません.
チームでの,いや同じ環境にいる全員での関わりが不可欠になります.

加えて,病院という環境に所属している認知症者は,
その多くが身体障害も呈しています.

自分の「普遍的世界」が,周囲の人と調和できずに悩むだけでなく,
身体障害によって自己統制を図ることもできずに下位欲求に支配されうる
極めて精神的に追い詰められる環境に所属しているといえるでしょう.

このような環境に適応することができず,
必死に認知症者はメッセージを発しています.

そのメッセージを「問題行動」という言葉で扱い,
服薬によってその「問題」を解決しようとする.
そしてメッセージさえも発信できなくなった認知症者は,
「落ち着いてきた」と表現される.

服薬による「鎮静」や,侵害刺激の反復による「感覚遮断」は
「落ち着いた」のではないのです.

いまだに多くの病院・施設でこのような現状があると思います.
でも全ての認知症者に関わる人たちは,どこかで疑問を抱いている.
僕はそう信じています.

今,最も必要なことは,高度な技術や知識の蓄積よりも,
まずは認知症者に関わる人達の,一回の「成功体験」だと思っています.






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