20120129

採用の根拠





仮に障害を有する前の作業形態を維持できないとしても
可能化のための手段を作業療法士は沢山もっている.

時には心身機能に働きかけたり,
時には方法を工夫したり,
時には環境を変えたり.
その手段は無数にあると思う.

大切なことは,その手段を採用した理由だと思う.
クライエントの特有の文脈の中で作業は存在意義がある.
作業の可能化とは,単にその作業が遂行できるということではなくて
大切な文脈に結びつけるということ.

文脈の側面には環境があり,役割があり,動機があり,課題があり,文化があり,
社会があり,制度があり,心身機能があり,時間があり,適応がある.
その包括的共有によって,初めて「その作業」が理解できる.

また,作業を「知る」事ができたら,作業の観察を大切にしたい.
セラピストは作業の可能化を妨げている原因を
心身機能に見いだそうとする傾向がある.

でも文脈を共有し,実際の遂行を観察したら,
可能化を制限している要素や尊重すべき要素
環境から要請される水準や活用できる資源など
可能化に必要な支援の方法をより鮮明にすることができる.
それは大切な文脈から逸脱しない「真の」可能化に向けた恊働になる.

ADOCはクライエントと作業療法士が,イラストを活用しながら
作業に焦点を当てた恊働を支援してくれる.

クライエントはイラストが目の前にあることで
自分の大切な作業を想起することが容易になり,
また作業に焦点を当てた意思決定に参加しやすくなる.

作業療法士は,作業に焦点を当てた恊働的な関係を
築きやすくなり,作業療法士を作業療法士にしてくれる.

容易に作業に焦点を当てられるツールであるからこそ
その作業の文脈を大切にしてほしい.

ADOCのイラストは扉だと思ってほしい.
絞り込んだ5つの作業だけに注目しないでほしい.
選択した全ての作業の連関は,必ず目の前のクライエントの,
その作業の可能化の条件を照らしている.
文脈を無視した支援は,「作業」を「動作」にしてしまう可能性がある.




20120112

精度の条件

経験の中で蓄積した溢れるほどの暗黙知を
総動員している日常を認識しているだろうか


これほどまでに当たり前にしか見えない現象に
どれだけの考慮を配したのだろうか


経験から蓄積された抽象的な感覚の中に安定した
どれほど貴重な手段を実行しているのだろうか


調節は一瞬たりとも気を休めることはなく
どれほどの適応を成立させ続けたのだろうか


共有の深さはその調節の妥当性を担保することを
どれだけ知っているのだろうか


体験と解釈に寄り添う環境としての自分を
どれだけ研ぎすましているのだろうか


棘の道は循環を逸脱しない場所からは
簡単には寄り添えないことを認識しているだろうか

一見当たり前に見える日常からかけ離れた文脈に支配された環境を
どれだけ認識の中で破壊することができるだろうか


手段が過去に身につけた習慣から発生することを
どれだけ懐疑することができるだろうか


関心の妥当性は幸せを担保することが
前提であることを認識できているだろうか


自己を組織化する理論は自分の行動を正当化してしまう
諸刃の剣であることを,刃は自分にも向いていることに
どれだけ怯えることができるだろうか


意味や目的に固執するあまり盲目になり
大切な物語を身勝手に構造化していないだろうか


聞こえてきた表出は環境や文脈に依存するという事実から
自己の在り方をどれだけ省察しているだろうか