20110927

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適度なストレスは人生のスパイスかもしれないけれど、
そのストレスは向き合う価値があるものなのか?が大切だと思う。


向き合う価値のあるストレスは、挑戦という名のスパイスになるかもしれないけれど、
向き合う価値のないストレスや、自らの力で扱うことが不可能なストレスは
差別や暴力や絶望や諦めという名に置き換えられるかもしれない。


価値感は人のあり方や行動を決める大切な方向性だと思う。
様々な経験や言葉を通して価値感は変容していくかもしれない。
価値感の転換を求められるとき、それは発展的でありたいと思う。
価値感の転換が諦めの結果であってほしくない。


望みがいつかかなうかもしれない。
そんな想いに並行しながら価値感を変えることが可能かもしれない。
望みを絶つ代償に、価値感の転換を迫られたら、その強要された価値感に
発展的な展望を持つことは難しいと思う。


わずかな望みを持ち続けながらも、価値感を変えることができるのだとしたら、
それは強い肯定的感情を蓄積する行動と結果が必要かもしれない。
まずは行動するきっかけも必要かもしれない。


人が変化するということは、その人から見れば相対的に環境が変化したということ。
その環境は時として残酷にその人を排除するかもしれない。
だから環境は到達点としてではなくて、志向性としてあるべき姿を考えなければいけない。


望みと新しい価値感を同居させるためには、
ある程度の理知的で客観的な思考を求められるかもしれない。
それがもしも不可能ならば、新しい価値感や解釈を強化することは
容易ではないと思う。


でも行動の記憶と結果は、新しい価値感を生み出す解釈に必要な
大切な過去になると思う。


その過去とは、すぐに強靭な価値感を生み出すほどの力は秘めていないかも
しれないけれど、無力ではないことをいつも信じている。


だから、捨てきれない望みも絶望も、全てを否定せずに受け入れて、
人の幸せの理由を一緒に考えたい。


責任と、習慣と、義務と、安らぎと、笑顔と、挑戦と、遠い夢と、
届きそうな場所と、思い出と、悔しさと・・・・
人生を作っていたその理由を一緒に考えたい。


作業の意味は変化するかもしれない。
意味のある作業は、現在進行形でしか成立しない表現だと思う。
面接で共有した作業は、意味があった作業かもしれない。


でもその意味は何だったのか?それを共有できれば僕たちは何かできるかもしれない。
それは作業の可能化を支援することかもしれないし、意味を取り戻す別の形態なのかもしれない。
もしかしたら過去に経験したことのない作業が意味のある作業になるのかもしれない。


人は、過去を反省し、それを糧として新しい価値感を構築することがある。
でもクライエントが構築していく新しい価値感は、過去の否定から生まれるものではないと思う。
だから全ての過去と思い出を共有して、新しい身体で、新しい成しかたで、
再び自分の時間を力強く埋めていくプロセスの、その全てに寄り添いたい。


作業の力を伝えたい、作業によって環境に結びついた時間と空間と感情の蓄積が、
人生を作ってきたことを伝えたい。


情報としてだけでなく、その人を作ってきた作業と遂行の軌跡を一緒に感じたい。
動作ができるとか、できないとかだけじゃなくて、自分で成すことの喜びを、
環境に結びつくことの喜びを、挑戦したいと思える自分を、作業で時間が占領される感覚を、
その全てを一緒に感じたい。新しい肯定的な価値感を共に創造していける、そんな環境でいたい。






世界は美しくて、人生は素晴らしいことを感じてほしい



PAWS UP!








20110914

白隠禅師坐禅和讃

衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえて いつか生死を離るべき
夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
そのしな多き諸善行 皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき 浄土即ち遠からず
かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし
況や自ら回向して  直に自性を証すれば
自性即ち無性にて  既に戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ  無二無三の道直し
無相の相を相として  行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として  うたうも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく  四智円明の月さえん
この時何をか求むべき  寂滅現前するゆえに
当所即ち蓮華国  この身即ち仏なり 








大切なことを思い出した・・・


20110911

narrative


ナラティブは現実を組織化する

とめどなく流れる時間の中で起こりうる様々な出来事を人は語り

語りから物語が生まれ、書き換えられた物語は再び新しい語りを生み出す

その連続性の中で、人は自分の感情や出来事を解釈し

折り合いをつけながら毎日を営み続ける

同じような出来事・経験でも、その語りと物語の連続性は人によって様々だ

あらゆる経験を自分の糧とし

自ら前進するための一助とできる物語を紡ぐ人もいれば

自分で生み出した語りに縛られ自分の作り出した物語に苦しみ続ける人もいる・・・










先日ある失語症クライエントの母親が亡くなった

彼は一週間の外泊の後、入院生活の場へと戻ってきた




彼は気丈に振舞っていたが、僕は彼の物語が気になって仕方なかった・・・




失語症の彼はどんな語りで母親の死を解釈したのだろう・・・

彼は語りで母親の死に折り合いをつけられるのだろうか?

悲しみや感謝や納得や決意の感情は内的にも言語化されたのだろうか・・・

その語りから前を向く物語は生まれたのだろうか・・・




昔の人は必ず葬儀を自宅で行った

今のように葬儀屋のようなビジネスが無かったことも理由だが

自宅で葬儀を行う理由は他にたくさんあった・・・

家族は接客や食べ物・飲み物の世話で一日中走り回った

来客は朝から酒を飲んでは故人の思い出を語った

その空間と時間の中で

忙しさの中で悲しみにだけ向き合うことを免除され

故人がどれだけ慕われ愛されていたかを家族は再確認した・・・

初七日・四十九日・法事などの行事や天国の概念も同様に

残された人達が前向きな物語を構築するために生まれたものだ・・・










感情はあまりにも混沌としていて・・・

あまりに重くてあまりに不安で・・・

そのままの形で連れ添うことは苦しすぎる・・・




どうか・・・

いつの日か激流のような感情が清しい語りに形を変え

再び前を向く物語の一項となるように・・・