20110831

休息と無為





休息は

過去と未来に意味のある作業が存在することで

豊かな時間となります

過去の作業の余韻と、未来の作業への期待が

休息に安心と意味をもたらします

何もしない時間=休息なのではありません

過去にも未来にも意味のある作業が担保されない休息は

単なる無為な時間です

時として休息と無為は

現象としては大きな違いを見出すことは

難しいかもしれません

休息は作業ナラティブの節目であり

それ自体が次なる活力を生む

作業ナラティブたりえる時間ですが

無為はあまりにも苦しい・・・

最も恐ろしいことは

無為が習慣化することで

その苦しささえも感じなくなってしまうほどに

あらゆる感覚や感情を遮断してしまうことです

人間は習慣的要素が大きく影響します

心にも慣性の法則は影響します






CLに豊かな休息を・・・






20110824

決定的な環境・・・





 仕事柄、[環境]という言葉をよく使用します。この[環境]という言葉は、実に様々な要素を含んでいます。決して玄関の段差や、手すりの有無、生活導線などの物理的環境のみを差すのではありません。


 人が特定の役割を有したり、より発展的な自分でいられる課題や挑戦を内包する所属や集団。各文脈における人間関係。自己のあり方を方向付ける文化。社会的公正や安全、保障を担保してくれる制度。自己に対する要求や要請・・・・これらは全て環境なのです。


 人は環境の中でしか存在しえません。人は作業を通して環境と結びつきます。環境との結びつきがなければそれは”作業”ではなく単なる”動作”です。要素的に同じ動作、名前が同じ作業であっても、どのような環境でその作業を遂行するのかによって人の循環は異なります。


 興味や関心、役割や責任と同居する適度な要求や要請があれば、人はそれに応えようとします。実際にその要請に応え、環境をある程度統制できるという感覚を有することができれば、人は更に自己を発展的に循環させようとします。反対に興味や役割を失い、外部からの要請も存在しない環境では、人は容易に悪循環へと移行してしまいます。


 生産的作業を有する多くの人は、義務作業や習慣的作業があるレベルで担保されていますから、この悪循環はある程度以上は悪化せずに保たれると僕は思っています。しかし生産的作業から一線を退いた人や、退院後、作業遂行文脈の大きな転換を必要とする人は、環境との結びつきから肯定的な循環を築けない場合、重篤な悪循環に陥ってしまう危険性があると思います。


 だから10dimensionに代表される作業遂行文脈の確立や、ADOCやCOPMを使用した意味のある作業の共有が必要になります。


 意味のある作業が可能になるということは、その作業に必要な動作が可能になるということではありません。その作業が意味を持つことができる環境や文脈下で、その作業が可能になることが大切です。それが真の可能化だと僕は思っています。だからOTは、人-環境-作業、全ての側面に目を向けて、全ての側面に介入するべきなのです。


 だから僕は、作業療法とは本来、CLの文脈を形成する住み慣れた場所で展開されるべきであると考えています。しかし実際は医療機関に多くの作業療法士が所属していますし、僕もその1人です。


 [病院という環境で、障害を有して入院している患者]という、極めて特殊な文脈が良質な作業療法を展開する上での一番の弊害であると僕は思っています。人は文脈依存の生き物です。今どんな文脈に所属しているかで、人は自分を演じ分け、思考パターンまで変化を及ぼします。


 極めて実際の生活文脈に近い状況に思考を仮想変換し、その中でCLとOTが意味のある作業を共有すること、協業を行うこと。それが医療現場で良質な作業療法を展開するための重要な要素であり、僕の臨床家としての主なテーマの一つなのです。そのための面接技術や可能化の支援方法の潤沢化が僕の課題です。理想の介入や結果とは程遠いことが多々あります。それはCLの状態や各種制限が影響していることもあるかもしれませんが、自分の努力と研鑽によって解決できる余白は、まだまだ多いと日々反省しながら行動しています。



 [不適応的]循環は誕生時からはじまるといってよいものであり、何らかの原因によって引き起こされた能力障害によって促進されていく。これらの循環はまた環境との交流の結果、ゆっくりと発達するものかもしれない。それらはシステムの適応能力を超えた要請を生み出す社会的環境との交流によって促進されるかもしれない。また、もはやシステムに遂行を喚起させないほどに要請が小さくなってしまい、意志のサブシステムが修得を求める衝動を表出しえなくなった結果として生じるものかもしれない。世界を探索し修得しようとする衝動を満足するというシステムの要求が満たされない場合、また環境の要請に応えられない場合は、常に悪循環がある(Kielhofner,1980)


 治療は環境として作用するものでなければならないということ。つまり、遂行のための要請をまず示すことができ、肯定的なフィードバックをもたらすことのできる反応を引き出すものでなければならない。作業療法室はシステムに対する重要な入力源であり、[適応的]循環を育むことができる決定的な環境である。(Kielhofner,1980)

20110819

意味のある作業が、意味のある作業であり続けるために必要な作業・・・






先日、後輩のEさんの代行で、SさんのADOC評価を行いました。

彼は、なんと吹き矢が趣味とのこと!

退職後に始めた吹き矢が大切な作業なのだそうです。

地域の吹き矢クラブ(そんなクラブがあるんですね)に所属し、

毎週1回、仲間と一緒に楽しんでいるのだそうです。



面接を進めると、色々な作業歴が聴取できました。

その中で、家事の項目が多く挙がりました。



彼は、毎日家中の掃除機がけや、食事の後の食器洗いを担当していたのだそうです。

僕は正直意外でした・・・

70代の男性、僕の経験上、農業などの仕事を熱心に行うCLとは沢山協業してきましたが、

あの年代の男性で、家族と同居しながら、家の中の家事を

これほど沢山している男性にはあまり会ったことがありませんでした。



話を進めると、色々なエピソードが見えてきました。

彼は1人で吹き矢に出掛けることに罪悪感を抱いており、

その免罪符として、出掛ける前に、家事をできるだけ遂行していたのだそうです^_^;



やはり意味のある作業は、CLと一緒に作業遂行文脈を整理する作業を一緒に行いながら

必要な要素や他の作業との関連性、バランスなどを見つめなおしていく工程が大切です。



吹き矢は、何か安全面でのきまりが色々厳しいらしく、

OT室や病棟ではできないのだそうです(あたりまえか)

なので彼は、毎日、吹き矢をもう一度楽しむために必要な機能訓練や

入浴などのADL訓練に加えて、

CL皆が使用したコップの片付けやコップ洗い、OT室の掃除機がけなどを毎日行っています。



また思いっきり吹き矢を楽しむために・・・








20110811

歩行自立で自宅退院・・・それって目標じゃなくてただの退院先と到達レベルだろ?という自問から始まった真の他職種連携に向けた取り組みの通過点に寄せて・・・






今日は新しいカンファレンスデザインのテストを行いました。

それぞれの職種の評価結果と、描いている目標をまずは開示します。

そしてその目標を設定した理由(それぞれの職種がなぜその目標を挙げたのかの理由となる関心の内容)を全て開示していきます。

次に、その関心の内容を開示した上で、それぞれの職種の目標を一つの目標へと統合していきます。そのプロセスで共通の価値を見出せる形にまで、主目標を多面的かつ連関性で成立するものに落とし込んでいくというものです。

そこから再びそれぞれ役割分担を行うことで、それぞれの職種から発信される日常の
情報の価値の共通認識も同時に担保するというシステムを構築します。

この方法には2つの課題がありました。

1つは、時間的問題です。最初から持続可能な作業形態を同時に追い求めると、作業機能不全を起こす懸念がありました。そこで、あくまでもテストという位置づけで、一定期間時間制約を条件から除外して実施していく方法をとりました。その施行期間の中で、実施にあたって、妥協できないポイント、手段の工夫で時間短縮が図れるであろうポイント、スタッフのシステムに対する習熟によって時間短縮されるであろうポイントなどを見定めて、作業形態の変更箇所を決めていくことにしました。

2つめは、職員の力関係の問題です。チーム構成スタッフの経験年数はかなりのばらつきがあります。新人のPTと10年目のOTが議論し合うような場合も当然あるわけです。その状況が、目標設定や議論の平等性に影響を与えることは現実的にありうるわけです。そこで、毎回カンファレンスには、ファシリテーターを設定することにしました。あくまでも俯瞰的な立場、中立的な立場を取りながら、全職種のリーダーも同席し、議論のコーディネートを行うわけです。

カンファレンスのデザインの変更と、これら2つの対策によって、過去に例を見ない
有効な時間・空間になりました。


これから試行を繰り返しながら、持続可能な作業形態へのアレンジを行っていきます。







ずっと構想してきました。

試行のチャンス、試行の形態を模索してきました。

全ての職種が、主体的に参加できるまでずっと準備を重ねてきました。

裏には数え切れないほどの管理者同士の議論がありました。

手段を考える前に、目的は何か?という問いかけをずっと続けてきました。

今日は、数え切れないほどの想いが形になった日でした。






カンファレンス開始は15時


終了は16時5分でした


16時10分からは部門内研修


今日は僕が講師


10dimensionsの活用がテーマでした


僕は興奮冷めやらないまま


もっと余韻に浸っていたいと思いながらも


涙腺が緩んだ状況で


ホワイトボードの前に立ちました


僕の目の前には


カンファレンスのケース担当だったTさんが


やはり涙腺が緩んだ表情で


涙を浮かべて座っていました



ADOC






20110807

つまりは君の扱う領域は・・・



Kさんは80代の男性。物理学をはじめ、様々な領域に関わった経歴を持ち


現在でも個人的に様々な研究活動を継続しているCLです。


東京でのキャリアを終えて、定年後に福島に移住してきたKさんは


奥様と一緒に湖の近くに居を構え、生活しています。



今日は、昨日から僕のCLになったKさんに作業療法の説明を行いました。











僕は説明の前に・・・

「リハビリというと、運動したり、関節を動かすことをイメージされる人が多いと思います。
ぼくの専門としている作業療法は、そのイメージとはすこし距離があるかもしれません。
なるべくわかりやすくお伝えしますので聞いてください」 

という前置きをすると、説明に入る前にKさんから意外な答えが返ってきました。







そもそも僕はね

君がいうほどに作業療法を理解するのが難しいなんて全く思ってないよ




人間はね

自分のすることを好きになれたら自然に成長していけるものなんだよ





つまりは君が扱う領域は人生のそういう部分じゃないのかい?



















20110803

1987年3月6日




私は、この領域が必要としていることには

2つの妥当な点があると考えています。

すなわち、

その見方において多様性を必要とする点と、

その見方には組織化と首尾一貫性を必要とする点です。

作業療法パラダイムにとっての課題は、

この両者の緊張を

どのように裁くことができるかにあると

私は考えています。


G.W.Keilhofner








もう1年が経つのか・・・

僕に作業療法の可能性と魅力を教えてくれた人・・・