20110331

経験の上に初めて成り立つ意味ある作業・・・





国家試験に合格した皆さん

本当におめでとうございます

いよいよ明日から作業療法士ですね!





どんな作業療法士になりたいですか?

どんな分野に興味がありますか?

皆様々な想いを抱いて、初出勤の日を待っているのでしょうね!

楽しみですね!

同時に、不安や緊張も沸いてきたかもしれませんね!




僕から一つだけアドバイスします

それは、

「仕事が楽しい」 「やりがいを感じる」 などという感情は

沢山の経験の上に初めて抱くことができる感情だということです




皆さん、大好きな趣味や、長年続けている作業はありますか?

それはなぜ大好きでいられるのですか?

それはなぜ長年続けているのですか?




それは、経験の中で、少しずつスキルを身につけることが可能となったり、

適度な難易度の挑戦を常にすることができたり、

自分にしか分からない特別な理由があったり・・・

経験から生じた様々な肯定的な感情や責任があるからです

だからその作業は、あなたにとって”意味ある作業”であるのです






皆さんがこれから担当するクライエントも同じです

みなさんはクライエントの”意味ある作業”に焦点を当てるでしょう・・・

その作業がなぜ”意味ある作業”なのかをクライエントと一緒に共有するでしょう・・・

そこには必ずクライエント本人だけのストーリーが存在することに気付くでしょう・・・

そこには必ず沢山の経験が重なっていることに気付くでしょう・・・






今の皆さんには、作業療法学生としての経験しかありません・・・

作業療法士としての経験はゼロです





これから様々な経験をするでしょう・・・

正直大変なことも沢山あると思います

でも、そこで作業療法を続けていくことや、今の職場に所属することに

安易に疑問を持たないでほしいのです





仕事の楽しさや、やりがいは

素直に目の前の課題に取り組んで

一生懸命考えながら、ある程度の継続の末に初めて訪れるものなのです





大変と感じることがあっても、

それを自分の糧であると解釈できる作業療法士であってほしいと思います

人間は事実よりも、解釈の仕方で次の行動や思考が方向付けられます

何でも否定的に捉え、文句ばかり言う人間は間違いなく損をします

なるべく肯定的に解釈し、少しでも自己実現に繋げようと解釈する人間は

確実に成長していきます

その先に楽しさややりがいが確実についてきます!






みなさんは、作業療法を、”意味ある作業”にする権利を今日手にしました・・・

みなさんにとって作業療法が、”意味ある作業”になることを心から期待します。





本当におめでとうございます


作業療法の世界へようこそ!





20110327

それでも桜は・・・





 今日は保育園の卒園式でした。中止になるだろうと思っていましたが、先生をはじめ保護者会の方々などの努力もあり、何とか開催することができました。皆ガソリンが無く、少しでも車の使用は控えたい時期ですが、多くの参加者があり、12名の卒園児を祝福しました。僕の娘はまだ卒園の年ではありませんが、保護者会の会長としての役割もあり、娘と二人で出席しました。

 卒園児が証書を受け取る姿を見て涙を隠しきれませんでした・・・多くの被災者が苦しむ中ではありますが、何を失っても、何が壊れても、60数名の園児達が1人も欠けることなくこの日を迎えることができることを、心からありがたいと思いました。会長挨拶では、涙を必死にこらえながらそのことだけを伝えて、新しく1年生になる子供たちに、名前入りの鉛筆と、保育園の思い出の写真が詰まったディスクをプレゼントしました。席に戻り、心の中で子供達の無事を感謝すると共に、震災の犠牲になった多くの人達にずっと祈りました・・・

 数日前に雪が降りました。まだまだ寒い日が続いていますが、もうすぐ生涯忘れることが出来ない冬が終わり、生涯忘れることができない桜が咲きます・・・



20110326

reconfirm 3






動機付けが協力と同一であると見なされることはよくあり、もし誰かがセラピストの目的に協力していればその人は動機付けが高いに違いないという暗黙の仮定がなされる。義務を怠る非協力的な人は動機付けがないというレッテルを貼られる。しかし現実には、自分が価値をおく目標に向かって取り組むのであれば強く動機付けられるかもしれず、一方、他者がその人の問題を決めてゴールはこうあるべきだと定義したら、クライエントは拒否するかもしれないのである(Hammell,1995a)。


「変化をもたらすのに必要な身体的または精神的努力の量、即ち、”変化費用(change cost)”が、起こり得る成果に対するクライエントの価値感と釣り合わない場合は、動機付けは低くなるであろう」との示唆がされている(Hammell,1994a)。


これは、作業療法の目標や活動でクライエントにとってほとんど価値を持たず、その人生にとって重要でないと評価されたものは、動機付けの低い、成果の乏しいものになるであろうことを意味する
(Jordan,Wellborn,Kovnik,&Saltzstein,1991)。Abberley(1995)は、クライエントの現実の視点をセラピストのそれに合わせるための適合プロセスに作業療法士が主に関与していることを観察し、「作業療法の理論では、このプロセスは教育的と見なされる」とした。クライエントにとって意味のある目標設定または変化費用に値する目標を設定するにあたって、作業療法士がクライエント自身の関心事、価値、目標、さらに、その人生における障害の衝撃や意味について把握することは、根本的に重要なことである(Hammell,1995)。従って、真の協業モデルをめざして評価と介入計画案について力関係を再調整することは、パートナーである両者にとって動機付けのレベルを高めることになろう。「動機付けは・・・精神性とリンクしており、行動の基本として、人の意志を引き出し保つことの必要性を認識する」(Health Services Directorate and the Canadian Association of Occupational Therapists,1993)。



20110324

作業の痕跡・・・




今日は約二週間ぶりに、入浴が再開になりました。

予定を組みなおして、全てのクライエントが入浴できるよう

交代で入浴を行いました。



久しぶりの入浴・・・

皆気持ちよさそうに温かい風呂を楽しんでいました。



僕のクライエントのMさん

入浴が終わり、脱衣所に戻ると、

彼のバスタオルや着替えからは、燻製のようなイイ香りがしました・・・



彼は戦後帰国すると、長年炭焼きをしながら生計を立てていたのです・・・

もう随分前に、炭焼きは引退し、現在は小規模に農業を営むのみですが、

おそらく、炭の香りは彼の家中に染み付いているのでしょう・・・



家族が用意してくれた着替えやタオルは、

彼の大切な作業の痕跡をしっかりと残していました・・・







炭の香りを吸い込んだ時に


作業療法が恋しくなりました・・・






まだまだ震災の傷跡は大きく

被災地の多くは、これから本格的な復興が始まります・・・






ウチの病院も、節電をしながら、規模を縮小せざるをえない状況ですが、

最悪の事態に備える為の準備も目処が立ち、

設備も殆どが復旧しました。






これからは、控えるところはちゃんと控え、

復興の為に自分が出来ることを探して実行しながらも、

何もかもを差し控えるのではなく、

自分の社会人としてのアイデンティティの中で、貢献できる部分は

しっかりと頑張る、それも大切だと思いました。







臨機応変に対応するための準備は今後も欠かせませんが、

少しずつ、僕たちの大切な作業療法士としての作業を

再開していこうと思います・・・





20110321

Extreme Super Moon




昨日の月はエクストラスーパームーン・・・

19年ぶりに月が地球に最も近づく日でした。

この月は、最大で14%大きく見え、

最大30%明るく見えます。



今は外出を必要最低限に控えていますが、

ほんの数分だけ外に出て、

今回の地震で尊い命を失った方々の冥福を・・・

行方不明者の一刻も早い発見を・・・

被災地の復興を・・・

被災した全ての人たちの心身の健康を・・・



曇り空の中、淡く光る大きな月に祈りました。





20110319

吉祥

昔、玄侑宗久さんに教えていただいた言葉を思い出しました。

大切なことは、「希望を持って判断を保留する」ことだと・・・

先の見えない不安、恐怖、疲労、諦め、怒り・・・

様々な感情が私達を支配しています。

時間の経過と共にそれはもしかすると増幅していくかもしれません・・・

増幅と共に、新しく生まれてくる思考は、更に自分を、そして他者を苦しめるものになってしまう可能性が非常に高いと思います。否定的な決め付けは、否定的な語りを生み、それが更なる否定的な感情を増幅させ、負の連鎖へと陥っていきます・・・

希望を持って判断を保留する・・・この言葉を大切に毎日を頑張ろうと思います。
そして、他の苦しむ人たちにも、ぜひそうあってほしいと思います。

saudade



サウダージ(saudade)という言葉があります。
元々は”孤独”という意味だったそうですが、
現在、この言葉を一言で訳す日本語は存在しません。

温かい家族に守られ、無邪気に楽しい日々を過ごした郷愁・・・
追い求めても叶わぬもの、遠い日の憧れ・・・遠い昔の失恋・・・
想い、哀愁、郷愁、追慕、様々な感情の複合的な意味合いを持つ単語です。

僕のクライエントのHさん。彼は統合失調症の症状と闘いながら、片麻痺となった今
自分を取り戻すために毎日を生きています・・・

彼は様々な思考が生まれてきては、それを上手く処理することが出来ずに苦しみます。

20数年にも及ぶ統合失調症との戦いの中で、彼は防衛手段を身につけました。
それは、特定の言葉をイメージして、めまぐるしく浮かんでくるマイナスの思考を
シャットダウンしようとするものです・・・

その手段を実行に移すときにイメージする言葉が、”サウダージ”なのです。
他にも、他者の幸せを自分の幸せに同期させるような想いを込めて”全体幸福”
などという言葉も彼はよくイメージするそうです。

この震災から、彼の心は明らかに不安定になっています。

少しでも不安を取り除くために、彼には役割を持ってもらったり、サウダージをイメージするときにいつも聴いていた、ジャン・ミッシェル・ジャールの曲を一緒に聴いたり、弾いたり・・・
忙しさの中で、関わりを持っています。




今回の震災で、沢山の人が苦しんでいます・・・

家族を失った苦しみ

家を失った苦しみ

原発の恐怖に震える苦しみ

食べ物が無い苦しみ

それぞれが様々な苦しみと戦っています・・・

彼のように、誰にも理解しえないような、固有の苦しみと戦っている人も沢山いるでしょう・・・




その苦しみから皆が解放される日が一日でも早く訪れますように・・・   saudade


20110316

もうひとつの問題

つい先ほど、相馬地区のOTさんからコメントが届きました。
そのまま掲載します。


相馬地区のOTです。 やっと電話が開通しました。 現況を報告します。 原発より20~30kmは屋内退避を強いられ、私の職場もライフラインは水が出ず。エアコンもかけられずにいます。 食事も最低限のみ。物資もほとんど届いていません。職員も交通手段がなく仕事に行きたくても行けません。そのため同じ職員が連勤を強いられています。 何より悲しいのは同じ県内、同じ日本人、同じ人間、同じ生きる者として扱われていない現状があります。 NHKで南相馬市長も訴えていましたが、まるで感染者扱いを受けています。 どうか、差別や偏見を持たないでください。 そして、この声を国へみんなへ届けてください。 お願いします。



物資が不足しているのは勿論のこと、今原発付近の住民は、
感染者のような差別を受けている現状が深刻化しているようです。

非常に残念であり、憤りを覚える事態です。

今は誰かを非難したり、差別をしたりしている時ではありません。

勿論新たな被爆被害者を出さないために努力を尽くしていますが、
それは被爆した人を差別することとは全く違います。

僕からも皆さんに是非お願いします。
どうか差別・偏見を持たないでください。
今原発付近の住民は、放射能という見えない恐怖に怯えて
必死に戦っています。

苦しむ人に唾を吐くような行為・思想を僕は絶対に許しません

絶対に許しません



温かいコメントに本当に感謝します

先日は皆様から温かい励ましの言葉を頂き、本当に有難うございました。
本当に元気を頂いております。

今福島県は被爆という深刻な問題を抱えております。
まだ私の住む郡山市は避難命令は発令されていませんが、
可能性は否定できず、予断の許さない状況が続いております。

近日中に、妻と子供は実家に避難させることに決めました。
今、実家のある会津若松に向かう国道は、原発付近の住民の避難による渋滞が
続いています。高速道路、JRは勿論不通です。ガソリンにも限りがあるため、
タイミングを見計らって家族を送り出したいと思います。

勿論、避難命令が発令されるような状況に陥らないことが一番ですし、
それを切に望みますが、可能性がゼロでない以上、最悪の事態に備えなくては
いけません。もしも避難命令が発令されたら、病院の全患者が安全に避難を終えるまで
できることをやり続け、その全てが終了したら、家族のもとに向かいたいと思います。

目の前のできることをこなしながら、最悪の事態に対処すべく
準備を進めています。

多くの患者さん達に少しでも安心を感じてもらえるように・・・

メチャクチャに壊れた業務スケジュール・システムが少しでも復旧するように・・・

最悪の事態が起こった際に、全ての患者さんや若いスタッフが迅速・安全に避難できるように・・・

明日もできることを全て行っていきたいと思います。




ところで今日は久しぶりにスタッフ全員が揃いました!

ウチの回復期メンバー8人も全員集合です。

やっぱり仲間が揃うのはイイですね。

みんなで少しでも明るく目の前の問題に取り組んで生きます。




本当に本当に感謝です。有難うございます。 全然元気です!

そして、被爆被害がこれ以上拡大しないことを心から祈ります。

20110314

情報拡散について、お詫びと訂正

昨日皆様にお願いしました情報拡散についてですが、私の情報の入手と、病院の現状にタイムラグがあったようです。依然物資は枯渇しており、入院・外来患者に十分な医療を提供できていない状況は変わりませんが、病院の現状については、昨夕、メディアを通じて情報が既に発信されたようです。余計な混乱を避けるため、災害時の情報発信には十分慎重になっていたつもりでしたが、情報のタイムラグについての私の確認が不十分であったことをお詫びいたします。御協力頂いた皆様、本当に有難うございました。


今日は初めて出勤途中の車の中で泣きました。地震発生から今まで、とにかく子供に御飯を食べさせてあげなければ、ライフラインを確保しなければという思いの中で必死でした。今朝、車で病院に向かう途中、急に涙がこみ上げてきて、涙が止まりませんでした・・・


一体これはなんだ・・・何が起こってる・・・愕然とした思いにクラクラしながらも、気を強く持って職場に向かいました・・・


午前中はクライエント達の離床やケアの手伝い、食事の準備、食事介助、先週から入浴していないクライエントの清潔保持(弱い流水でのシャワー浴)を行いました。


昼食は僅かなポテトチップスを食べました。その後、今度は、臨時病棟の仮設作業を行いました。例の原発付近の施設に入所する寝たきりの利用者50名を当院で受け入れました。毛布や枕などが圧倒的に不足する中、出来る限りのポジショニングを行いました。利用者は、皆関節は殆ど動かず、ポジショニングに苦労しましたが、明日も頻回にROMや体位交換などで対応していくしかありません。必死に「ここは山奥だから絶対津波はこないですよ~」と声賭けを行いながら作業を進めました。僕達も搬送作業やポジショニングなどを行ったことにより、被爆の可能性があるということで、全身をシャワーで洗い流してから帰路につきました。


余震は何回来たのか見当もつきません・・・正直ずっと揺れています・・・


皆、自分の家族や家が心配でたまらないはずなのに、誰も文句を言わずに、笑顔で作業を19時まで休みなしで続けました。午前中から、普段とは全く違うスケジュールで走り回ったにも関わらず、見事なチームワークで一日走り続けました。帰り際に、施設の職員から、「利用者のこんな笑顔を久しぶりに見ました」と言われた時、僕の中に、先の見えない明日に向かうエネルギーが満たされていくのを感じました。


明日も走りまわります


元気です

20110313

郡山 水道 物資 連絡 

東北・関東大震災で亡くなった方々に心から御冥福をお祈りいたします。

また、依然行方不明の方々の一時も早い復帰を切望いたします。



余震はだんだんと弱くなってきていますが、
当分は注意が必要です。ぜひ車の中にも、毛布と水分、食料の備蓄をしてください。

服を着たまま寝るようにしてください。もしもパジャマ等に着替える場合は、枕元に全て準備をしてください。車の鍵と、財布と、携帯電話と、携帯電話の充電器は、全てかばんに入れて、枕元、もしくは玄関に置いてください。

郡山市は、断水している地域がかなりあります。今日確認したところ、濁った水がチョロチョロ出る場合、市販のフィルターを使用すれば、飲料にも使用できるそうです。

また、桜通り沿い、東邦銀行本店横の給水所が比較的空いています。子供が小さいなど、数時間列に並ぶのが困難な方にお勧めです。

市内でミネラルウォーターを購入することは不可能ですが、大型の酒屋などで、かなりの量の炭酸水の在庫があります。煮沸すればただの水になります。子供の離乳食やミルクに困っている方にお勧めです(乳児に使用する場合は、香料不使用のもの、必ず煮沸を)。

携帯電話、固定電話共に、かなり使用が困難な状況が続いています。ますます困難になってきた印象です。家族が離れている方などは、是非ツイッターやスカイプなどのツールを活用してください。

現在、携帯電話の自動受信機能は制限されています。充電に余裕がある方は、まめにリクエストをしてください。

食料品を購入する人は、保存が可能な物を選んでいると思いますが、なるべく冷凍食品を避けてください。近日から、輪番停電が始まる予定です。その日に消費しない物については、なるべく常温で長期保存が可能な食品を購入してください。

この地域のコンビにについては、弁当などのデイリーメニューは、殆どが宮城県周辺に工場があり、物流が止まっています。また、加工食品についても、日中は国道の渋滞、高速道路に閉鎖などで殆ど入荷がありません。業者も深夜の道路が空いている時間に搬送しています。過剰な購入は避けて、皆に食料が行き渡るようにという意識を持って行動してほしいと思いますが、加工食品の入荷は、深夜~明け方だそうです。食料が足りない方は参考にしてください。

ガソリンは郡山全域で殆ど在庫がありません。是非出勤などの際は、近所に同じ職場の方がいる場合は乗り合い出勤をしましょう。

現在市内を周ると、案外買い物ができる店があって安心した人もいると思います。しかし、今店頭に並んでいる商品は、その殆どが地震発生前のストックです。これから商品不足が深刻化する可能性が十分に考えられます。備えてください。


こんなに自然の前で人間が無力だと絶望したのは初めてです。
地震発生時、足が震えて目の前で起こっていることが現実だとは思えませんでした。

クライエント達に必死に毅然と話しかけましたが、体中が震えて、動悸が止まらず、
両親や妻、子供の安否が心配で、気が狂いそうでした。

緊急に設置された災害本部に状況確認に行こうと廊下に飛び出すと、
廊下は崩れた天井からの粉塵で、何も見えませんでした。

訓練室の床にマットや座布団を敷いて、クライエント達をテーブルの下に座らせて、
「絶対に大丈夫だから安心して!」そう言いながらも
内心は恐怖で殆ど立っていられない状況でした。

壁には無数の大きな亀裂が入り,スタッフルームに緊急連絡用の携帯を取りにいくと
部屋の中は壊滅状態。やっと携帯を見つけるも、全て使用不可能。
家族の安否も夜まで全く分かりませんでした・・・

崩れそうな病棟から、築年数の新しい病棟へ、緊急に患者の避難を行いました。

殆どが歩行不可能。エレベーターは勿論使用不可能。7階立て。

患者120名を布団にくるみ、階段をピストン搬送しました。

翌日は皆で出勤し、臨時ベッドの組み立て等を行い、
並行してクライエント達全員に声をかけ、励まし、皆でラウンジに集まり
お茶会などを行い、必死で精神面のケアを行いました。

こんな時に職種なんか関係ありません。自分の出来ることを、より効率的にする。
とにかく貢献する・・・それだけです。

こんな状況の中で、「1単位でもいいから取れ」といった大馬鹿野郎が数人いましたが、そんな言葉は一蹴し、みんなでとにかく走り回りました。

自然の前に人間はあまりにも無力かもしれないけれど、でも逆境の中、人間はやっぱり強い。
その言葉を掲げながら、復旧の日々、出来ることを精一杯やっていきたいと思います。

20110310

reconfirm 2




リハビリテーションプログラムは伝統的に、生活世界(life-world)に関係のない技能を教え、また介入のための戦略の開発を探求してきたが、それはあらかじめ決められたスケジュールに固執するものであった(Hammell,1995a)。このように、「個人の日々の日課(routines)と義務を維持するために必要」な能力に取り組む代わりに(Keith,1995)クライエントは、実社会の文脈においてはすぐに不要なものとなってしまう技能を教えられてきた(Rogers & Figone,1980;Weingarden & Martin,1989;Yerxa & Locker,1990)。クライエントの診断名は同じでも、介入はその特有な環境、ライフステージ、および個人の目標に適用可能でなければならず、さらに障害が本人にとってどのような意味を持ち、また、本人の人生においてどのような位置を占めるかを考慮しなければならない。



民俗学の記述は、年配者は自分の過去のアイデンティティを保ちこれらを未来に持続するために大変な努力を払っていることを示唆している。世間の目の中に自分の低くなった地位を感じ、彼らは以前のアイデンティティを、おそらく職業、家族、あるいは親業(parenting)に基づいて呼び起こし主張することによって、過去の生活との連続性を示そうとする(Cohen,1994)。この人生の連続性への関心についてGiddens(1991)は、人間は自らの過去と未来の生活を、自分が物語りの作者となることを通してつなぎ合わせようとする、とした。この人生の連続性と再構築というプロセスは社会的文脈の中で起こり、作業療法の介入を行う上で重要な意味を持つ。



病気や障害を崩壊的な人生の出来事と捉えることは、作業療法士が個人とその家族の生活歴の崩壊の意味を考えるように促す。このように介入は、単に生物学的な状態に向けられるのではなく、人間の動機、価値、信念、および個人にとっての障害の意味の世界にまで向けられる。例えば、脳卒中、重度の頭部外傷、または脊髄損傷を負った者では、障害を負ったまま半永久的に人生がもとの形には戻らない(Mattingly,1991a)。人生の再構築は人生に連続性と意味をもたらすことを目的とし、病気や障害が生活に織り込まれて統合され、人生の主題ではなく織り地の一部となるようにする(Corbin & Strauss,1987)。崩壊や喪失に関する問題に優位に焦点を当てるよりも、もっと有用な戦略として示唆されるのは、クライエントが連続性のある要素を特定しそれに取り組むのを作業療法士が援助することである。




20110309

reconfirm 1




関わるクライエント皆に自分の人生を取り戻してほしい・・・
自分らしく新しい人生を歩んでほしい・・・
大切なこと、目指すべき方向、注意点などを、時々少しずつ言葉で再確認していこう・・・


人は、自分の人生と出来事をある程度コントロールできると感じない限り、何かしようとする努力をやめるであろう(Seligman,1975)


もし治療環境がクライエントに対して、協力的で従順で受身の態度を求めれば、このことがクライエントの無気力を誘発し、クライエントは障害に関する目標設定、介入計画、および意思決定を、専門家に依存するように教育される。これは教育性無気力と名づけたほうが適切であり、こうしてその原因を学習者ではなく、教育者に帰するものとする(Hammell、1995a)


作業療法士は、自立をひとつの価値あるリハビリテーションゴールであると捉えている。残念ながら、これは一般にセルフケア技能における身体的な自立として狭義に定義されてきた。私は自立を次のように定義することを提案する。即ち、、従属しないこと、完全なる自己統治、自分の為に考えて行動することである。自立した人は、問題を特定でき、計画を立て、それに向けて行動でき、もし必要があれば、他の人に自分のケアを依頼できる人である(Hammell、1995a)


自立とは、身体的能力というよりも心の状態として見られるものであり、この特質は目標設定、優先順位付け、および進行状況のモニターに積極的に関わることによって身につくものである。



20110308

パウル・ヴィトゲンシュタインを想う・・・




今日は夕方OT室の和室にみんなで集合しました。後輩のNさんが担当する、神経内科病棟に入院しているクライエントOさんが、音楽に合わせてタンバリンパフォーマンスを披露してくれるというのです。Nさんが、僕達回復期のメンバーにも声をかけてくれたため、数名のクライエントと一緒に参加しました。


Oさんは、Nさんの演奏するピアノに合わせて、タンバリンを持って踊ります。ヨガや、太極拳などをモチーフに作られたオリジナルの動きは、見ている僕達を心から楽しませてくれました。参加したクライエント達も、久しぶりに舞台でも見に来たかのような、Oさんとの時間を本当に楽しんでいました。


Oさんのパフォーマンスが始まる前、僕とHさんは、和室で、床からの立ち上がりの練習をしていました。リウマチの母の為にまた手伝いがしたいとADOC面接で語った彼です・・・


彼は休憩時間に、和室の隅に置いてあった電子ピアノに興味を示し、弾いてみたいと僕に申し出ました。僕は勿論快諾すると、ピアノの電源を入れて、セッティングを済ませました・・・


彼は左手で・・・決して上手くは弾けなかったけれど、なんとショパンを弾いたのです。聞けば彼は幼い頃からかなり長い期間ピアノを習っていたそうです。


家には古いオルガンが置いてあって、統合失調症の症状で思考がまとまらずに苦しい時には、よくオルガンに向かっていたのだそうです。


その時思い出したのですが、ADOC面接の時に、最後の5項目には残らなかったけれど、彼は楽器演奏を選択していたのです。僕との協議の結果、その作業は、初回の介入内容には入りませんでしたが、楽器演奏にはそんなエピソードがあったのです。


近々リリースされる製品版のADOCには、最終選択した5項目以外の選択した作業も保存される機能が追加されています。この機能はかなり有効に活用できそうな予感がしました。


演奏が終わった後で、僕は彼としばらく話しをしました。今後も自宅で思考がまとまらずに苦しいときには、またオルガンを弾きたいこと・・・自分にとって、将棋や囲碁と同じくらい大切な作業であること・・・彼は改めて語りました。


相談の結果、左手用の楽譜を用意して、一緒にピアノの練習をしていくことに決めました。


世の中には、片手のピアニストが沢山います。左手用に書かれた楽譜も多数存在しています。また紡がれた旋律に耳を傾けて、ひと時の心の平安を取り戻す作業・・・オルガンが彼にとってそんな作業になればと思います・・・幸いにも僕の母はピアノ教師です。近々実家に帰って相談しよう・・・












作業には物語がある




作業には意味がある




作業には価値がある




作業には目的がある




作業には手段がある




作業には輝きがある




作業には安心がある




作業には誇りがある










20110307

即興に耐えうるFrowを・・・






昨日は娘と動物園に行く約束をしていましたが、天気予報を見て断念・・・
午前中は二人で髪を切りに行きました。切った髪の毛が服についていたらしく、チクチクするので、その足で温泉に!二人で露天風呂を満喫しました。


温泉から上がると、ちょうど12時でした。車の中で昼食をとりながら、福島市に向かいました。県立美術館で開催中の、スタジオジブリ、レイアウト展を見に行きました。宮崎アニメが大好きな娘は大喜びで、二時間があっという間に過ぎました。







その後は、ブルーレイをレンタルして、電気屋さんで掃除機を新調(やっとサイクロン♪)。夕飯の買い物をして帰りました。僕は夕飯はシチューにしようと考えていたのですが、娘はカレーが食べたいと言います・・・しばらく協議した後、ルーを半分ずつ入れて、シチューカレーを作ることにしました。


ただのとても甘いカレーになりました・・・







僕の臨床に対する基本姿勢はクライエント中心の作業療法です。クライエントと一緒に過去の作業遂行文脈を振り返り、共有し、そこから取り戻したい作業、やりたい作業を協業の元に決定していきます。


しかし、その協業のプロセスを実施することができないクライエントも実際沢山います。


そんな時、無理やり協業に持っていこうとしたり、反対に、安易にセラピスト中心に選択したADL訓練や機能訓練のみに介入内容を変更することも乱暴です。


なぜ協業体制を築けないのか?そのアセスメントが重要だと考えています。


認知症や、高次脳機能障害がその理由にある場合も多いと思います。また、自分の未来に対して積極的になれず、クライエントの意思を伴った面接を実施できない場合も多いと思います。下位の欲求段階が満たされずに、前を向けないクライエントも沢山います。


そんな時は、協業体制を築くために必要な要素をアセスメントし、介入方法に組み込んでいかなければいけません。


欲求段階が満たされないクライエントに対しては、早急に解決策と安心を提供することも必要です。認知症が重度のクライエントに対しては、快刺激の中で、他者と交わること、作業をすることに対する抵抗に対して脱感作を図り、環境と交われる状態に底上げすることを優先することもあるでしょう。高次脳機能障害に苦しむクライエントに対しては、専門知識に基づく訓練を提供しながら、生活文脈を考慮した作業を共に行ったり、元の文脈でストレスをなるべく少なく生活するための準備を進めていくことも重要です。


また、どんな介入を行う時も、常に心理面に気を配り、少しでもクライエントが作業に従事する中で、効力感を感じ、未来の自分に希望を持てるような関わりが重要です。


そんな関わりの中で、協業体制を築ける状態になったクライエントに対しては、そのプロセスを踏むラインに途中で移行すれば良いし、ずっと協業体制を築けないクライエントに対しては、クライエントがイキイキと生活していくためには何が必要か?(上手くなるためには?ではないですよ!)それを考えながらの介入を続けていくことになると思います。


協業体制を築けるクライエント・・・


築けないクライエント・・・


どちらのクライエントに対する介入でも、共通していることがあります・・・


それは、心身両面を同じ比率で大切にすることができなければ、作業療法はできないということです。それは領域に関係ありません。どんな領域でもです・・・


クライエントの心理面を、意欲の有無など二極的な評価に留め、そこで言う"意欲”も、OTが決定した"訓練”に積極的かどうかだけで有無を判断する・・・そんな臨床に終始するOTは、おそらくOBPには懐疑的なんだと思います・・・PTになればPTになれば良かった・・・なんて思っているOTもいるかもしれません・・・


反対に、クライエントの心理面を重要視するOTほど、作業ベースの介入の大切さ、そして難しさを知っているんだと思います・・・作業療法士であることを誇りに思えるOTだと思います。






作業療法ができるから、僕は作業療法をしているのではありません・・・


作業療法がしたいから、僕は作業療法ができるのではありません・・・


どんなに作業療法が好きでも、遂行技能を有していなければ、僕は作業療法を楽しめないと思います。情熱的に取り組めないと思います。


どんなに技能を持っていても、作業療法に情熱を持てなかったら、僕は作業療法を楽しめないと思います。


僕は作業療法が大好きで、作業療法をすることができるから、主体的に作業療法士という作業を遂行しているのです・・・遂行し続けることができるのです。


クライエントは、様々な障害を持って私達の前に現れます。様々な心理状態で私達の前に現れます。あくまでもクライエント中心の協業が僕の理想ではありますが、その協業が難しい場合、心身両面からアセスメントをして、僕達は変幻自在に介入を工夫していきます。


僕達作業療法士は、”何でも屋”などと表現されることがよくあります・・・


でも何でも屋であるが故に、自分達の専門性を見失うリスクも伴うのかもしれません・・・


作業療法士は、心身両面を包括する”即興に耐えうるFlow”をしっかりと持った”何でも屋”でいたいと僕はいつも思っています。






今まで協業体制が築けなかったクライエントも、
もしかしたら協業できる可能性があるかもしれない・・・
現に僕はありました・・・





20110304

自由と意志と管理と組織化と目的と手段と僕達の存在意義とクライエントの権利・・・






彼がこの壁を越えようとしたなら・・・


越えられないように壁の高さを増設する前に聞いてほしい・・・


壁を越えてどこに行きたいのかを・・・






彼がこの壁を壊そうとしたならば・・・


壊れないように壁を補強する前に聞いてほしい・・・


壁を壊して何をしたいのかを・・・






壁の前で彼はあまりにも無力で・・・


越える可能性が殆ど無いときも・・・


彼は壁の向こう側を夢見ている・・・







でも、もしかしたら・・・


あまりにも壁が高くて・・・


あまりにも壁が頑丈で・・・


越える意志さえも奪われたまま長い時間が過ぎれば・・・


彼はもう壁の向こう側に行きたいと思わなくなるかもしれない・・・






でも、それは本来望んだ結末なんだろうか?


目的は彼が壁を越えようとする意志さえも奪うことだったのかな?










本当の目的は何だったんだろう?


僕達は何のために存在しているんだろう?


クライエントは一体誰?





本当は全部知ってる・・・


本当はみんな知ってる・・・









20110301

今日を生きた人・・・





先週末に、春の訪れを感じるような陽気だったかと思えば
昨日からまた雪景色です・・・

時々見せる青空は随分と青が濃くなってきて、確実に春の足音は聞こえていますが
まだまだ寒い日が続いています・・・

新人さんが入職する春。人事異動の春。リハセンターの体制が変わる春。色々な変化が訪れる期待と不安が入り混じる春を、前を向く希望のイメージで迎えたいものです。




僕のクライエントのHさん。先日ADOCを実施して、リウマチの母の為に、また母の手伝いをしたいとの想いから各種作業選択を行った彼です・・・


回復期病棟入院から約3週間・・・入院時、重度の右麻痺と、右側への注意が全く向かなかったHさんは、今日から杖を使用せずに、独歩レベルで歩行が自立になりました。


ADLも、入浴に見守り、更衣動作に麻痺側の袖を通す際の指示と軽介助を必要とする以外は全て自立し、病棟ラウンジにある大きな日替わりカレンダーの入れ替えも、彼が毎日行ってくれています。


彼は非常に社交的で、いつも他のクライエントに話しかけて、交流を楽しんでいます。僕の担当する重症度の高いクライエントに対しても、積極的に声かけをしてくれたり、働きかけをしてくれます・・・


今日は独歩自立の初日・・・チームで相談して自立にはしたものの、僕は少し不安もあったため、僕が他のクライエントに介入する際も、積極的に彼を絡めての時間・空間を作りました・・・


起床時、彼は自分で洗顔を済ませると、ラウンジのカレンダーの日付を交換してくれました。あのカレンダーがあるから日付を知ることができるクライエントが沢山います。


朝イチは、重症度の高いSさんへの介入時に、彼はSさんの囲碁の相手をしてくれました。言葉を一言も発しないSさんの状態を彼は熟知していて、彼が持ちやすいように碁石を渡してくれます。USNが重度のSさんが、碁石を置きやすいように、彼は大きな碁盤の中で、Sさんから見て健側に碁石を置いて勝負をしてくれます・・・


その後、彼は服薬指導を受けました。その後僕と一緒にOT室へ移動。上肢機能訓練や歩行量の増えたことによる筋緊張のセルフコントロールスキルの練習。自宅で母の手伝いを想定した、物を運ぶ練習などを行いました。


午後一番で今度は入浴訓練を行いました。ループタオルは今後の生活でも必需品になりそうですが、来週には、シャワーチェアを使用しない洗体動作も可能になりそうです。


その後、PT訓練とST訓練を彼は行いました。その後、僕のクライエントEさんの介入時に、彼を誘い、一緒にOT室に移動しました。彼はEさんの為に、エレベーターを呼んでくれていました。思えば入院時、彼はペースを全くコントロールすることが出来ずに、どんどん加速してしまう歩行が課題でした。今はEさんの歩行スピードに自分のスピードを合わせてくれます。


OT室にはその時Nさんがいました。中学校の英語の教師をしていたNさん。まだ長時間の離床がキツイNさんに、彼は英語で話しかけます。Nさんもそれに同調して、みんなで片言の英語でのコミュニケーションを楽しんでいました。英語での会話の中でも、科学が大好きなこと・・・ナショナルジオグラフィックが好きでよく見ていたこと・・・僕が参加しているスタンフォード大学科学部が実施しているFOLDING@HOMEのことをよく知っていたこと・・・様々な彼の一面を知ることができました・・・あっという間に夕方五時が迫っていました・・・


帰りのエレベーターの中で彼が突然口を開きました・・・


「今日は久しぶりに”生きている”感じがしました・・・」


僕の職場は回復期リハビリテーション病棟です。チームアプローチによってADL能力の向上は円滑に進めることができる環境が整っています・・・


僕達は今日から彼の活動度を独歩自立に変更しましたが、それは彼が母の手伝いを大切な作業に挙げているからであり、物を持って作業する生活を想定していたからです。


彼は先週からT字杖レベルでは自立していました。しかし彼は今日始めて”生きている”と感じたのです・・・自分の体を自分で制御しただけでなく、身のまわりのことを自分で行い、人の役に立つ作業を行い、人との交流を楽しみ、自己実現に向けた作業に従事した、様々な主体的な作業で時間が埋まった”今日”、彼は”生きている”と感じたのです・・・


今日の彼の発言は、リハビリテーションに従事する立場の僕達にとって、あまりにも大切なメッセージだと思いました・・・客観的現象としての変化を評価尺度の全てとするような関わりを作業療法士のアイデンティティと捉えるのではなく、介入関わるクライエント皆が”生きている”と感じられる協業を実践できるOTになりたいと改めて思いました・・・








目の前のクライエントってどんな人?

何を大切にしてきた人?

どんな作業をしてきたの?

その作業はその人にとってどんな意味があったの?

誰の為の作業だったの?

本当にその作業はもう出来ないの?

挑戦したの?

知ろうとしたの?

知ろうとしたけど、うまく共有できなかったら
いつかできる日がくるように、他の準備はしてるの?

意味が無いかもしれない作業を通して、語りに耳を傾ける努力をしたの?

ADLが向上したのはいいけど、
できることが増えてきた効力感を共有して、未来の希望を共有したの?

その希望のイメージから、再び意味ある作業への扉を開けるチャレンジをしたの?





僕の情熱はまだまだ荒削りだけど、

どんなに重症なクライエントに対しても、僕は絶対にその人らしさを諦めない・・・




だって僕は大切な作業に包まれているから僕でいられるんだから・・・











目の前にいるのは人間です。筋と骨の集合ではありません・・・