20110226

希望だけを胸にただ前へ・・・




明日はいよいよ国家試験・・・


長かった試験までの道のり・・・


そして作業療法士としての始まり・・・


今までずっと努力を積み重ねてきた・・・






もう鍵は持っている・・・


あとは・・・目の前のドアを開けるだけ・・・








恐怖心なんて実態の無い幻想です・・・


希望だけを胸にただ前へ前へ・・・







努力してきた皆さんに桜咲きますように・・・









20110225

誰が作業に焦点を当てればいい?






季節外れの写真ですが、これは僕の職場から20分程の所にある白糸の滝です。
安達太良山の登山道入り口に車を停めて、歩くこと15分、
この滝が現れます。


滝を横目に見ながら、更に細い山道を10分程進むと、
沼尻温泉の源泉に辿りつきます。


そこからは白色の沸騰した源泉が湧き出ていて、
近くを流れる川に、その源泉が混ざりこむ地点があります。





そこが丁度良い湯加減で入浴を楽しめる”秘湯”です。
川の水と混ざり合った源泉は、薄い水色に光り、
幻想的な姿で僕達を迎えてくれます。


以前、後輩や兄弟と数回この秘湯には通いました。
今はおそらく雪深くて、この場所まで行くことは困難だと思いますが、
また春が来たら入りたい穴場です。


この沼尻から車で5分の所に、不動滝という立派な滝があります。




毎年必ず僕は娘を連れてこの滝を訪れます。
この滝は僕にとってのパワースポットです。
水しぶきを一杯浴びながら、娘とたっぷり遊んできます。


この滝のすぐ近くに、僕のクライエントのMさんは暮らしています。
炭焼きをしながら暮らしていたMさん。膝や腰はボロボロです。
今回は脳梗塞で軽度の右麻痺を患い、ウチの回復期病棟に入院してきました。


先日MさんにADOCを実施しました。入浴など、ADLを中心とした作業を
Mさんは選択しました。仕事一筋の生活を送られていたようで、
趣味などの作業は全く選択しませんでした。


数日後、家族が来院した際、ADOC面接の結果や、ADOCの目的を家族に説明しながら、
Mさんの生活を家族から聴取しました。


すると、家族から色々なMさんのエピソードを聞くことができました。


戦後、帰国が許されず、何年もMさんはシベリアに抑留されていたこと・・・
厳寒の地で、満足な食事も休息も与えられず、毎日強制労働の日々を過ごしていたこと・・・


帰国後も、休むことを殆どせず、家族を養うために、炭焼きをしながら
必死に生計を立ててくれたこと・・・


そんな生活の中で、唯一の楽しみは、お風呂だったこと・・・


家族は僕に話してくれました・・・


家族は続けます・・・


これからは、膝も腰も悪いし、あまり活発な生活は無理でしょうね・・・


だからデイサービスなんかを利用しながら外に出る機会を作ってほしいと思ってるんです・・・


でもジイチャンは風呂が大好きだったから、どうしても風呂だけは
家でゆっくりと入らせてあげたいんです・・・


家族からこのような提案がありました。


家族が心配していたこと、家族から表出されたことは
最初は歩行が可能になるのか?どんな介助が必要になるのか?でした・・・


ADOCの目的と、面接結果を説明した後は、家族からも、
Mさんの作業に焦点を当てた発言や希望を聞くことができました・・・


家族には、おそらく大きな身体介助は必要ないだろうということ、
椅子や道具の工夫が一部必要になるだろうということ、
入院期間中に、早期から定期的に入浴訓練に立ち会ってもらいながら、
家族にも慣れてもらいたいということを説明して、報告を終了しました。


OTは、作業に焦点を当てた面接や介入を行います。
しかし、クライエントの多くは、退院後の生活を1人では成立させることができない
人が殆どです。皆何らかのサービスを利用したり、人の手を借りて生活しています。


どんなにOTが、作業に焦点を当てて介入を行っても、生活する環境に関わる
人たちが、クライエントの作業に焦点を当てずに、医療的視点や、介護的視点のみで
クライエントを支援し続ければ、クライエントの生活は、マイナスの項目を補填するような支援でのみ継続されることになるかもしれません・・・


クライエントに関わる、関わるであろう人達も、皆クライエントなんだという認識が
大切なんだと思います。専門性の違いは当然ありますが、
クライエントの意味ある作業を共有すること、遂行が可能となるよう支援することに加えて、
クライエントにとって大切な作業の意味を関わる全ての人たちへ発信し続けることも
作業療法士にとって大切な任務なのです。









20110224

準備はいつでも万全にして・・・







まだまだ寒い日が続きますが、ほんの少し春の足音が聞こえてきました。
ウチの回復期病棟のラウンジには、OT用の巨大な掲示板があります。
今日はTさんとKさんが、クライエント達と一緒に掲示板を彩る花の飾りを作っていました。
日中は空気の感覚質もどこか春の訪れを予感させます。



僕のクライエントのHさん。
何度か紹介している能面などの木彫のスペシャリストです。


発症から約3ヶ月、発語は一度もなく、栄養は経鼻経管栄養。
意識レベルはつい先日までⅡケタでした。


起居動作に若干の協力動作が見られるものの、
他の動作は全介助のままです・・・


毎朝僕は最初にHさんの所にいきます。
ROMの後端座位を少しとったら車椅子へ・・・
髭剃りと洗顔と整髪をします。


突然予想以上の変化が見られたり、他者との交流が可能になったとしても
社会的に見合ったスタイルで自分にアクセスできるように・・・


いつ家族や知人が来ても、彼とつながりのある人達が悲観しないように・・・


いつでも準備は万全にしています。





Hさんへの介入の後、僕は毎日午前中に
クライエントのTさんと五目ならべをする時間をとります。


父親の希望で、幼少の頃からプロの棋士になるようにと道場に入門し
将棋を指してきたTさん。囲碁などもプロ並の腕をもっています。


将棋も囲碁もあまり深く理解していないという僕の理由で(ごめんなさい)
五目並べ対決を毎日行っています。


今日はその対戦場面にHさんにも同席してもらいました。


僕の隣りにHさんに居てもらい、対戦を眺めていてもらいました。


何気なく僕は、Hさんに碁石を手渡すと・・・


なんとHさんは碁石を碁盤の上に置いたのです・・・


しかもちゃんと線の交差する場所に・・・・


そのまま僕は対戦をHさんに譲り、碁石を渡す役目にまわりました・・・


正直Tさんと互角に戦えるような置き方ではなかったけれど、
Hさんは柔らかい表情でゆっくりと碁石を置いていきます。


今まで能面を手渡すとじっと眺めたり・・・
ずれたメガネに手をかけたり・・・


Hさんの反応はその程度のものでした・・・


今日初めて彼は他者との作業をしたのです。


彼は終始笑顔で、碁盤を見つめていました・・・


途中からは、碁石を渡す役目も、Tさんにお願いし、
僕は少し離れて見ていました・・・


彼の脳出血は非常に広範囲に及んでいて、
予後予測に希望が持てる状況ではありませんでした。


管理的な視点で関われば、関節可動域の維持や
介助量の軽減を目標とした介入に終始していたかもしれません。


でも僕達がチームで共有した目標は、「絶対ベッドベースをゴールにしない」でした。


経管栄養のHさん・・・


言葉を全く発しないHさん・・・


ADL全介助のHさん・・・





一般的に見ても”寝たきり”の人にしか見えない人です。





車椅子に乗車して、座位がある程度保持できて、他者との関わりの中で心が動く・・・
そのレベルにまで達しなければ、間違いなくベッド上でケアされながらの生活が待っている・・・


彼に絶対にそのような文脈に落ち着いてほしくないと、
PTさんは毎日機能維持や体力維持の為の介入を熱心に実施してくれています。


ちなみにPTさんは、この間OTの研修会に参加してくれたKさんです。


僕は彼のプライドを維持する為のケアや、大切な物を使ったコミュニケーション、
他者との関わりの機会を、負荷がかかり過ぎないように配慮しながら継続してきました。


皆が彼の病前の作業やその功績を知っていて、毎日彼に話しかけてくれています。


看護師さんは、彼が集団場面に参加できるように、
経管栄養の時間調整などを配慮してくれています・・・


みんなでいつ戻ってくるかも分からない彼の為に、
準備を万全にして待っていました・・・


彼にこれからどこまでの変化がまっているのか?それは分かりません・・・


でも、どんなに麻痺が重度でも、


どんなに言語障害が重度でも、


どんなに介助量が多くても、


自分らしく生きる権利があるはずです・・


離床時間を拡大するために


何もせずに”ただ起きている”。


夜間覚醒しないように


日中”ただ起こしている”・・・


その介入の目標はなに?・・・


目標は誰のため?・・・


クライエントは一体だれ?・・・


刺激ってなに?・・・


医学的管理や機能維持は最低条件です・・・


刺激といわれる環境からの働きかけも、
愛情と、クライエント中心の思考と作業遂行文脈が伴わなければ
一瞬にして侵害刺激へと変貌し、遮断を助長することにもなりかねません・・・


彼は来室すると、いつも笑顔で応えてくれます。


そんなに余力が無いはずの車椅子乗車も、表情を曇らせたことはありません・・・


彼は作業したいんだと思います・・・


彼は病棟中の職員やクライエントの皆が、彼の作品を賞賛し、
話しかけることを分かっているんだと思います。


セラピストや看護師が、彼の自分らしさをすこしでも取り戻すために
介入していることを感じてくれているんだと思います。


僕の勝手な思い込みかもしれません・・・


でも思い込みは決して諦めではなく、希望の中に見出していたいと思います・・・
そう信じれるだけの介入をしていきたいと思います・・・


準備をいつも万全にしていたいと思います・・・




20110220

突然目の前に現れる”作業”の専門家・・・





車を購入するときは、ディーラーに出かけます。

食料品を買うときは、スーパーに出かけます。

歌いたいときは、カラオケに行きます。


私達は、自分が求めているものを知っていて、

それを解決してくれる場所へと出かけます・・・



でも、障害を負ったクライエントが初めてOTと対面するときに、

作業療法とはどんなセラピーで、

作業療法士とは何をする人なのか?

知っているクライエントは皆無です。

少なくとも日本の現状はそうです・・・



それなのにOTは作業療法のことを上手く説明できないことが多いようです。

説明できないセラピスト・・・

説明できるだろうけど、なんだか自信を持って説明することができずに

その場逃れの説明を行うセラピスト・・・

その背景も様々です・・・



僕自身、昔を思い出すと、

「OTでは、実際の生活に必要な身のまわりのことや、応用動作の練習を行います」

なんて説明をしていたこともありました。



そんな介入を行っていた頃は、どうしてもクライエント側に

PT>OTという反証し難いヒエラルキーが存在していたような気がします。


それは自分がそうなるような説明・介入しか行っていなかったからです・・・



今は自分が作業の専門家であること・・・

生まれてから今まで、その全ては作業の連続だったこと・・・

自分の大切な作業を行ってきたからこそ、イキイキと生きてこれたんだということ・・・

だから、一緒に大切だった作業や、これからやりたい作業を思い出したり探したりして

新しい生活を作っていきたいということ・・・

その為に僕は存在しているんだということ・・・



意思疎通が可能なクライエントには初回評価時に説明します。

機会があれば家族にも同様の説明をします。



具体的には、ADOCなどを使用しながら、クライエントの作業遂行文脈を
共有するプロセスの中で、自然にクライエントが自己の作業に目を向けられるように
なってきた時に、OTとは何をする人なのかを説明することが多いです。


家族には、ADOCでクライエントと共に介入する作業を選択した後に、
評価結果をPDFで説明しながらOTの説明を行います。



僕の経験から言えば、最初は上手く理解してくれないことが多いかもしれません・・・

でも、作業によってイキイキとしてくるクライエントが増えてくると、

そんなクライエントがいる環境が、僕達の説明の有効性を

後押ししてくれます・・・


また、クライエント自身が、自己の意味ある作業を大切に思えるような
面接ができれば、その流れでOTの説明は非常に円滑に可能となります。


ウチの職場では、昔、スタッフ同士が、作業療法面接を行い、
それを他のスタッフが見て意見を交換し合い、作業療法面接が、少しでも円滑に、
かつ、クライエントが作業に目を向けられるようにするためのエクササイズも行いました。


是非、諦めずに、しっかりと自分が作業の専門家であることを

説明する勇気をもってほしいです・・・


クライエントは、何屋さんかも分からない店に、

突然飛び込むようなものなのです。



「手のリハビリをするところです」と説明すれば

そこはクライエントにとって手を治す場所になるのです・・・



「応用動作を練習する所です」と説明すれば、

応用動作を練習する場所になるのです・・・



「大切な作業を取り戻す場所です」と説明すれば、

作業をする場所になるのです・・・

作業に必要な練習をする場所になるのです・・・

作業からトップダウンすることができるのです・・・



















20110219

どんなに苦しい時でも目標が揺ぎ無くていつも笑っているからルフィは必ず海賊王になると思う・・・







昔、芥川賞作家の玄侑宗久さんの元に、ある外国人が尋ねてきました。玄侑さんは、その女性を座敷に通し、しばらく話をしたそうです。その女性は、とにかくよく笑うのです。玄侑さんが何か喋ると、すぐに大きな声で、顔をクシャクシャにしながら笑うのだそうです・・・


なぜそんなに大笑いをするのか?玄侑さんは分からずに、しばらく時間が過ぎるのですが、何故かだんだんと玄侑さん自身も楽しくなって、一緒に笑ってしまうようになったのだそうです。


今でも時々、その女性のことを思い出すそうですが、話の内容は殆ど覚えておらず・・・
ただあの時の彼女の笑った顔と、笑い声が脳裏をよぎり、また楽しい気持ちになるのだそうです。


確かに楽しそうな人の近くにいると、自分も気分が良くなります。つまらなそうな人、不満だらけの人が近くにいると、息がつまりそうになります・・・自分の精神状態や表情が他者に与える影響は案外大きいようです・・・


クライエントに対面する時も同じです。自分の仕事が好きで、クライエントのことが好きで、クライエントの為に準備をしっかり行った介入は、クライエントから拒まれることはまず無いのではないでしょうか?(一生懸命考えた介入は、介入方法や態度を熟考するからかもしれませんが・・・)


昔を振り返ってみると、若い頃は、何度かクライエントから介入を拒否されたことがありました・・・でもここ数年は全くそんなことはありません・・・


拒否されたらどうしよう・・・表情がこわばり気持ちに余裕がなくなります。声かけも、なんとか拒否されないような機嫌を伺うような声かけになります・・・そして拒まれます・・・そして更に自信を失い拒否を恐れるようになります・・・その時間がくるのが嫌になり、拒否されて、その日の介入を免れることに安堵を感じたり・・・・負のスパイラルに突入していきます。


若いというだけで拒否されることがあります

女性というだけで拒否されることが今だにあります

クライエントの主観によって、拒否されやすい条件というのがどうしてもあります


負のスパイラルに陥ったセラピストが、自分の力で這い上がることは易しくありません・・・
でも”拒否された”という言葉を使っている内は、クライエントに原因を見出しているのです。


毎日の業務は組織化されて、習慣化されて、意識を開放できる状態になります。それは裏をかえせば気持ちが伴わなくても、表面的な作業は可能になるということです。


どんなに組織化されて、習慣化された作業療法業務でも、いつも考えるのです。自分が何をする人なのかを・・・目の前のクライエントにできること、すべきことを・・・自分の本分を意識して、必要な準備をしっかり行って、そこから生まれた情熱を持ってクライエントの前に立つからこそ笑えるのです。クライエントを笑顔にする笑顔が生まれるのです・・・クライエントも自分の未来に向かって笑えるのです。この人といると、なんか楽しい・・・何か前向きになれる・・・そんな環境因子にOTはなりたいものです。そんな環境因子でありながら、かつしっかりとした協業関係を築きたいものです。


作業療法という自分の意味ある作業を意識して、喜びを感じて、未来を感じて、準備して、それを大切に遂行すること・・・その時に生まれてきた感情は、あなたがクライエントに到達してほしい感情と似ているはずなのです・・・






20110217

誰よりも己を知っている人だから・・・





阿吽(あうん)の呼吸という言葉があります。
これは、共に1つの事をする時などの相互の微妙な調子や気持、
特にそれが一致する状態のことを指します。






先日、私の所属する支部の主催で、「意味ある作業とは」と題した研修会が開催されました。その研究会に、ウチのPTさんが参加してくれました。


参加してくれたPTさんは、Kさん。どんな人かと簡単に説明すると、
「もしも僕が障害を負ってしまったら、絶対にこのPTさんに担当してほしい」人です。


研修会の前に、僕とKさんは立ち話をしました。Kさんは、「どんなにPT的に分析して介入を行っても、効果的な介入ができないクライエントが沢山いる。だからその理由に何があるのか?なにか今後の介入を考える上で、活かせることはないのか?それを確かめに行きたい!」といっていました。


Kさんは非常に鋭い洞察力でクライエントの動作や身体機能を評価・分析・介入します。ボトムアップ的な視点で困ったときは、僕はいつもKさんに相談します。そんな自分の本分に対して真摯に向き合い、アイデンティティを確立し、かつ自分達の存在する意味は何なのか?を客観的に捉えられる人だからこそ、自分のパラダイムのフィルターから見える景色に固執することなく、今回の疑問が浮かび、研修会参加へと足を運んでくれたんだと思います。Kさんは、ファジーな印象を受けやすいOTの介入や効果についても非常に関心を示してくれます。


協業とは、同じことをするのではなく、それぞれのアイデンティティをしっかりと個々が自覚し、研鑽や実践を重ねながらも、他の専門性を尊重し、理解しようとする姿勢が向き合ったときに初めて成立するのではないかと思います。


協業=スキルミクスだ!などと主張する某連絡協議会がありますが、僕は違うと思う・・・


新人の頃を思い出しました・・・”OTは機能が診れない!””動作分析が甘い!”よく言っていたPTがいました。魚屋に野菜のことを知らないと言っているようなものなのに・・・


でも同時に、「僕の専門性は作業だ」とはっきりと言えない僕もいたのです・・・現に機能を診れないことに危惧を感じ、自分達の専門性をより盲目にしたOTも沢山いたのです。


今は”OTは機能が診れない”なんて公に愚かな発言をするPTはいなくなりました。


立ち話の最後にKさんは言いました。


ボトムアップはPTでいい・・・ADLをトップだと思ってトップダウンするのもPTでいい・・・OTが本当の”その人の”トップダウンをして、あとはお互い合わせればいい・・・


アイデンティティの危機に立たされていたOTは、現在、専門性を主張することにかなり関心を持っています。でもそれは他職種を理解しようとする姿勢と同居するからこそ、クライエントの利益へと還元されていくのです・・・


阿吽の呼吸という言葉が示す、「共に1つの事をする時などの相互の微妙な調子や気持。特にそれが一致すること」とは、お互いが全く同じことをするということではありません。同じ目標に向かって、それぞれが自分のすべきことをしっかりと遂行し、それでいて協業者との波長が溶け合うような状態をさしているのです・・・










根拠のないアセスメントで自ら閉じ込めたクリニクラウン・・・



今日は久しぶりに早く仕事が終わりました。娘といつものように買い物に行き、夕飯の相談をした結果、オムライスとサラダ、コーンスープに、そして今日は時間があるので二人でアップルパイを作ることにしました。


オーブンを余熱している間に、水と砂糖、ラムをキャラメリゼして、りんごと一緒に炒め煮ていきます。狐色になったりんごにシナモンを加えてパイシートに敷いて、切れ目を入れたシートを被せてオーブンに投入!


焼き時間を合わせてトータル45分で完成!僕の平日の料理は早いです。同時進行で夕飯の準備も行うので、いつもよりも早く全ての作業が完成しました。


味は・・・僕的には完璧でしたが、娘にはシナモンが少しきつかったみたいです・・・・・ゴメン・・・







クライエントのHさん。以前紹介した能面や仏像作りの達人です。介入から約二ヶ月。重度の失語がある彼は、一言も言葉を発したことはありません・・・ADLも全介助です・・・


毎日僕は、朝一番に車椅子に移乗してもらい、髭をそり、整髪をし、蒸しタオルで顔を拭いて、それからベッド周りの動作練習を行い、その後彼が作った作品を必ず握ってもらいながら病棟や院内の色々な場所に出向き、他のスタッフや他患と一緒に作品にまつわる声かけなどを行ってきました。


これまでの介入で、作品を手に取ってずっと見つめたり・・・ずれたメガネを自分で直したり・・・声かけに対する追視が積極的になったり・・・少しずつ変化は見られてきているものの、転機となるような変化は見られていませんでした。


しかし今日、思いがけないことが起こりました。Hさんの近くで後輩のT君が認知症のクライエントYさんに介入しているときです。僕はYさんを楽しませようと、テーブルに置いてあった能面を被り、滑稽な動きでYさんに近寄っていきました・・・その時です。


Hさんが大きく顔をゆがませて笑ったのです!声こそ聞こえはしませんでしたが、爆笑といってもいいほどの笑顔でした。皆その場所にいたスタッフ達は一瞬時間が止まり、その後感激で大騒ぎになりました。


僕は今まで、あまりにも素晴らしいHさんの作品を目の前にして、知らないうちに、彼の作品や過去の作業を笑いにつなげてはいけないような・・・変な制約を自分に課していたような気がしました。


彼が作品を使って面白いことをされることを嫌がる・・・それは僕の全く勝手な憶測でしかありませんでした・・・僕はいつも時間ができると、無為な時間を過ごしているクライエントの所に出向いて笑わせたり、リハに積極的になれないクライエントを楽しませたり・・・いつも人一倍笑いを大切にしていたはずなのに・・・彼に対しては”クリニクラウンの僕”を封印していたのです・・・


そろそろ介入方法を工夫し直さなくてはいけないと思っていた矢先のできごとでした・・・


経鼻経管栄養のHさん。重度の麻痺と意思疎通の困難さで全介助のHさん。声かけに対して追視が見られる程度だったHさん。まだできることがあるはずです。介入を続けても、おそらくADLの介助量が大きく変化することはないと思います・・・でも施設方向が決定しているHさんは、今のままではおそらくベッドベースの生活が待っています。でもなんとか車椅子ベースの生活を届けたい・・・車椅子で日中過ごし、参加場面で心が動く生活をしてほしい・・・


OTは最もフレキシブルな環境因子・・・自分がいつも言っている言葉をもっと大切にしなければいけないと思った一日でした。






20110211

回復?学習?代償?教育?・・・根拠は?






AMPSのソフトが昨年新しくなりました。
今回は、味噌汁を作る課題や、電子レンジの使用など、
今までより日本人の生活にフィットした課題が追加されています。
課題が追加されたということは、標準化されていない課題を
AMPS発展の為にデータ収集してくれたセラピストと
クライエントがいたということ・・・本当に感謝です。
そろそろアップデートしようかな・・・


さて、昨日から日本で何が行われているか知っていますか?


昨日から、OTIPMの講習会が開催されています。
しかも、講師はAMPSの生みの親、Ann Fisherさん本人です!


僕も介入モデルとしてはいつもOTIPMのフローを頭に描いていますし、
自分で作成したアセスメントシートも、自由に使えるように職場に置いています。



                         



でもあくまでも独学の範囲であり、書籍も洋書しかありません。
しっかりと勉強したいと思っていたプロセスモデルです。


今回、ADOC:projectリーダーのtomoriさんが参加していますが、
Fisherさん・・・かなり熱いらしい!!!


以前、FC2でブログを書いていた時にも触れましたが、
面接をして、クライエントの意味ある作業を共有しても、
その介入内容の選択は、セラピスト個々の経験のみで
判断されていることが多いのではないでしょうか?


意味ある作業を共有して、その遂行の質をAMPSで評価したら、
OTIPMで介入モデルを選択して実際の介入を行う・・・
そしてその結果を再びアセスメントして、介入モデルを修正していく・・・


クライエント個々にとって意味も形態も機能も異なる”作業”・・・
だからその介入内容が妥当であったかどうか?
客観的に判断することは困難です。


もしも違う介入モデルを選択していたらどうなっていたかなんて
誰もわかりませんからなおさらです。






①その作業を選択したことの根拠は何ですか?・・・



②その作業の遂行上の課題は何ですか?・・・



③その介入モデルを選択したことの根拠は何ですか?・・・



この工程の全て、または一部をショートカットしても
誰も気付きません・・・


気付けるのは自分だけです・・・







トップダウンのトップってADLかな・・・ ADOC


20110210

運転がしたいんじゃなくて、512TRが運転したいから・・・




フォルクスワーゲン・カルマンギア。今僕が購入を検討している車です。僕は今も古い車を大切に乗っています。保育園の送迎の無い妻の休日のみ通勤に使っていますが、大分維持がつらくなってきました。このカルマンギアは、従兄弟が現在所有しています。譲ってもらえるように現在長期交渉中です。この車を、艶を抑えたシルバーに全塗して、ワタナベのホイールを履かせて乗りたいです。


今の車は壊れないし快適です。軽自動車でも相当イイんだと思います。でも僕は古い車が大好きです。いつ壊れるかもしれない不安を同居させながらも、お気に入りの車で通勤する日は、それだけで土曜日の午後のような感覚質が僕を包んでくれます。


昔、僕がGTRのメンテナンスを任せていたショップのファクトリーの奥に、フェラーリ512TRが置いてありました。社長に話しを聞くと、片足を切断されたオーナーの依頼で、改造をしているとのことでした。


今のフェラーリは、F1マチック(2ペダルのセミオートマ)が主流ですが、当時は、フェラーリにオートマチックは殆ど存在しませんでした。左足に大腿義足を履くそのオーナーには、フェラーリの重いクラッチは踏めません・・・社長はそのオーナーと協議をして、アクセルを離してシフトノブを握ると、握ったときに発生する静電気でクラッチを切るというシステムを採用することにしたのだそうです・・・


その時の社長の言葉が印象に残っています・・・


「今は障害者が車を運転するなんて簡単なんだ。どんな改造だってできる。でも運転するだけじゃなくて、好きな車に乗りたい人がいっぱいいるんだよな~。そうなると簡単にはいかないときもある。でもそれって大事だよな~。車に乗りたいんじゃなくて、”あの車”に乗りたいんだよな~。だからよ~俺が作るしかね~だろ~」


その時僕は、今までクライエントと運転の相談をするときに、どうすれば遂行可能になるかばかりを話し合ってきたことにハッとしました。


運転だけではありません。意味ある作業を共有したら、その作業が何故大切なのか?どのように遂行したいのか?誰のために遂行したいのか?その理由やストーリーを共有しなければ、再び意味ある作業になり得ない可能性も高いのです。


フェラーリ512TR。TRはテスタロッサの頭文字です。テスタはイタリア語で”頭”。ロッサは”赤”です。エンジンのヘッドカバーが赤く結晶塗装されているのがその由来です。シフトノブは金属の削りだしで、Hパターンのシフトゲージは、決して操作性は良くありません。12気筒のエンジンは、すぐに悲鳴を上げます。一昔前のイタリア車のタイミングベルトは、回転に比例してテンションが強まる構造になっているので、1万キロ毎に交換が必要です。使いづらい、壊れやすい、段差は越えられない・・・不便の塊のようなこの車を、あのオーナーは運転したいのです。そしてそれを可能化する男がいたのです。


クライエントの大切な作業を、僕達はもっともっと立体的に知らなくてはいけないと思いました・・・
そして、その作業を可能化するための支援の術を、もっともっと身につけたいと思いました・・・


世の中には、効率性や安全性では量れない意味・価値あるものが沢山溢れています。そんな一見無駄なものの中にも輝きが沢山溢れています。それが嗜好であり、こだわりであり、個別性なのです・・・















その作業・・・もう一度できればそれでいいの?



20110208

ダイナミックな存在のソフトランディングとは・・・



ADLをはじめとする能力を向上させ、再び社会適応できる状態を構築する・・・
聞こえは良いが、これは、人間の生活に必要だと思われる構成要素を、
能力のみに限定する危険な仮説だ・・・


OTになる直前の自分と、なった直後の自分を思い出してみる。
最終学年の僕は、学校の中でも最も上級生であり、
後輩達よりも、明らかに知識や実習で培われた経験を持っていた・・・


でもたったその数ヵ月後、就職した直後の僕は、
何もできない無力感に苛まれ、
クライエントと向き合うことに恐怖感すら感じることもあった・・・


このたった数ヶ月で、僕の能力に有意差なんて無かった・・・
むしろ後者の僕の方が、少なからず経験値は増えていたはずだ・・・


でも、前者の僕は有能感を感じていて・・・
後者の僕は、それを微塵も持ちえていなかった・・・


大切なことは、能力と共に、自分が所属する環境下で
自分が効果的であるという感情、効力感を感じられること・・・


どちらが欠けても自分の作業に適応することは難しい・・・


じゃあ、効力感を感じられるように、コミュニケーションや段階付けを考慮して
日々のADL訓練や機能訓練を実施すればそれでいいのだろうか・・・


おそらく、病院という特殊な環境下で、患者という立場でそれを遂行する分には
大きな問題は見えてこないかもしれない・・・


しかしながら、その文脈は、本来そのクライエントが生活すべき文脈ではない・・・
いずれ入院リハを終えて、自分の戻るべき環境・文脈へと解き放たれたときに・・・


一瞬にして、今まで獲得されてきたように見えた
能力と効力感の統合的な自己の定位は崩れ去る危険が待ち構えている・・・


ある日突然、健常だった自分が様々な作業を遂行してきた環境・文脈へと戻ることで
病院に入院している患者という立場で成立していた暫定的な人・作業・環境の中でのみ
成立していた自己は大きくゆらぐ・・・


人・作業・環境のダイナミクスの中で生活は成立されているにもかかわらず、
”人”にのみ介入しなければ、退院後、クライエント本人の作業・環境に支配された
文脈に戻った時、何が起こる?
想像に難しくない・・・


本来クライエントが生活していく文脈が存在し、
今目の前のクライエントは、それとは別の文脈に暫定的に存在しているということを
もっと意識しなければいけない・・・


本来戻るべき文脈で”遂行されてきた”・”遂行したい”作業を共有し協業するということは、
戻るべき文脈へのランディングを円滑にするという視点からも
非常に需要な要素だ。


入院生活の経過の中で、どんなに障害を受容したように見えても、
一歩病院の外に出て、自分意外の人間が皆健常者であったならば、
その瞬間にその受容は効力を失うかもしれない、
障害受容なんてものは、ショック期から受容期へと
一方向性に移行するものではない。


自分(人)と環境との交わりの中で、常に浮き沈みするダイナミクスなんだ。


環境という海に飛び込んだときに、自分の揺らぎを少なくし、
揺らぎながらも前を向けるかどうかは、
人・環境の要素に加えて、もう一つの大切な要素・・・
”作業ができるということ”が大きく影響する・・・



だからOTとクライエントは、入院・患者という別の文脈にいながらも、
本来戻るべき文脈に存在していた作業に目を向けたい・・・


障害を負った”新しい身体”(人)で意味ある作業を出来るようになり、
戻るべき環境へと復帰することが”ソフトランディング”って言うんじゃないかなぁ・・・


ADL能力だけ向上させて・・・
退院前訪問行って・・・
練習通り動けるか確認して・・・
介助法の家族指導して・・・


最後にケアマネに丁寧にサマリー書くことを”ソフトランディング”なんて
安易に言わないでほしい・・・


                        ADOC