20101028

家族を家族にするということ・・・





重症度が非常に高く、座位をとることも困難。失語も重度であり意思疎通も不可能なクライエントがいます。今朝の事例検討の時間に、僕の自慢の後輩 I さんが、プログラムに悩み、みんなで話し合いを行いました。

このような事例は決して少なくありません。関節可動域訓練や座位保持訓練などの他に提供できることがない・・・そんな悩みはOTならば誰もが一度は経験しているのかもしれません。

このような事例の場合、よく耳にするのは”刺激をいれる”というプロセスです。しかし刺激はクライエントとって有意義な意味のある刺激でなければ、侵害刺激にもなりえます。

次によく聞くのは、家族から”事例が好きだったこと” ”好きだったもの”などを聴取するというプロセスです。これも必ずしも効果的な情報が得られるとは限りません。案外家族も本人の価値を見出していた作業は想起しにくいものです。

私達にとっては日常の風景も、クライエントの家族にとっては”異常事態”です。ついこの間まで元気だった家族が、今はベッドから起き上がることもできず、鼻から管を通されて、言葉を発することもできない・・・耐えかねる景色が目の前に現実として展開されています。

様々な医学的視点からの”丁寧な”説明によって、いつの間にか家族の関係は、重度障害者と介護者という関係にシフトされてしまいます。

心の整理もつかないまま、家族は様々な介助法やリスク管理を伝達されていきます。地球上で最も大切な”家族”への愛情や想いは、いつの間にか、”家でみれるのか?” "この介助を続けていくのは大変だ”という想いに摩り替えられてしまいます。

僕が持っているイメージは、”家族を家族に戻す”というものです。OT介入に使えそうな作業項目を聞き出そうとするのではなく、様々なエピソードを家族と共有しながら、時間や空間や季節や天気や作業の中での”家族としての繋がりや想い”を外在化してもらい、共有していきます。

家族がクライエントを、重症患者としてでなく、大切な家族として見れるようになる頃には、介入のヒントは沢山共有できていることが多いのです。

僕はその大切なプロセスを踏んでから、家族に、どうやって重度障害を負ってしまった大切な家族と人生を送っていくのか?を考えてほしいです。一緒に考えていきたいです。大切な家族を愛するという主体性の中に、頑張るところ・資源に頼るところ・手段を覚えるところなどを決めてほしいです。自宅に帰ることができても、”重度障害者とその介護者”という文脈のまま時間が思い出をすり減らす場合が沢山あります。自宅に帰れなくても、”大切な家族”という想いを根底に共有する関係性で、残りの人生を寄り添うケースも沢山あります。人生において、家族を心から大切に想える以上に尊い作業はないと思います。愛情を根底に置いた想起の中にこそ、価値ある作業は表出されるといつも思っています。











20101027

想いに命が吹き込まれる場所・・・




今朝通勤途中で撮りました。福島の短い秋の貴重な青空。もうすぐ空が薄い灰色に包まれる冬がやってきます。今朝は雲が低くてまるで夏の空みたいでした・・・この数時間後には大雨・・・今年の冬は例年より寒さが厳しいとのことです。

今日は入院している患者様のための不在者投票日でした。数日前からクライエントのSさんと、投票用紙の記入練習をしていました。視覚認知に問題があり、非利き手での記入となるSさんの投票が無効票にならないように、一生懸命練習してきました。昔から立候補者の後援会員だったSさん。一票への想いはとても大きなものでした。何とか記入できるようになったものの、無効票になるかどうかのギリギリの書字でした。時間になり、私が同行すると、練習では見られなかった達筆で、応援している立候補者の名前を力強く書きました。投票を終え、安堵の表情を浮かべながら二人で病棟へと戻りました。

kibiさんは、Kさん自慢の芋床(ジャガイモとザラメ・麹・塩で作る漬物用の床)を作っていました。それで漬けたナスは他では食べられない一品だそうです!明日皆で語馳走になる予定です。

Mさんは、明日自宅へと退院するTさんと一緒に、ゴマ団子を作っていました。昔擁護施設の養母をしていたTさん。自分の孫くらいの年齢の私達に、入院生活のお礼を込めて、ゴマ団子をご馳走したいと張り切って作業していました。

Tくんは、Oさんと一緒になにやらwikipediaで調べ物をしています。昔乗っていたトーハツ(東京発動機)製のバイクがもう一度見たいと、一緒に検索中です。「これは大好きなバイクで2台も買ったんだ」と楽しそうに話していました。歴史など色々なことに興味があるOさん。いつもTくんは彼の興味を示した歴史上の人物などをwikipediaで一緒に調べ、プリントアウトし、彼にプレゼントすることで、病棟での無為な時間を埋めてくれます。

Kさんは、高次脳機能障害が重度なSさんの、家族との生活への復帰を目指し、様々な評価や練習を頑張っています。、今日はAMPS評価を行いました。外泊時の評価と、練習の成果、AMPSの結果から、日中義母と二人になるSさんに、過剰に制限をせず自分らしく生活してもらいながら、かつ安全性も保障された生活を構成中です。

Tさんは、末梢のしびれの訴えから、自分の価値ある作業に目を向けながらも、なかなか主体的な作業遂行にシフトできなかったKさんと、アンダリア手芸を行っていました。言語的な訴えはまだ聞かれますが、少しずつ作業に心が向いてきています。これからも残存する機能障害が、心を揺らがせると思いますが、作業遂行の経験が、揺らぎを最小限にとどめ、また前を向かせてくれると思います。

僕はこの場所をずっと守りたいと心から思いました。この空間、時間を共有するクライエント達の想いがちゃんと伝わってくる場所です。どんな想いでその作業をしているのか・・・自分のクライエントじゃなくてもこの場所では皆それを共有しています。だから皆効果的な”第二の担当者”になってくれます。この空間の空気が、新しいクライエントが自分の大切な作業を見つめるための環境因子になってくれます。

もしも僕がいつか自分の大切な作業の価値を見失うようなことがあったら・・・
この部屋に来たいと思いました。





僕が僕であるために・・・





僕は100mを10秒で走ることはできません。

美しいショパンを奏でることもできません。

空を飛ぶこともできません。

躍動感溢れる書で人を感動させることもできません。

リャドのような美しい色彩を表現することもできません。



でも僕は悲観したりすることはありません。

自分の身体の限界の中で、価値ある作業を遂行しているからです。



僕には大好きな作業療法という仕事があります。

大切なクライエントとの協業があります。

仲間との研鑽という作業があります。

大好きな家族がいます。

子供と遊んだり、一緒にお風呂に入ったり、大切な作業が沢山あります。

大好きな趣味があります。

職場・家庭で色々な役割があります。



これらの作業遂行文脈の中で、過去の思い出と、現在と、未来の目標や夢があります。

時間が流れているから、過去と現在と未来があるのではありません。

色々な価値ある作業が、僕に没頭と納得と前向きな思考を与えてくれます。

もしも価値ある作業を有していなかったら・・・

もしも目の前にある作業の価値を感じることができなかったら・・・

僕は遂行不可能な作業や到達不可能な状態への憧れに、現実を見失うかもしれません・・・

おそらくADL能力ですら、少しずつ失っていくかもしれません・・・

そんな時間の流れの中に光の差した歩みはありません・・・

目の前にある作業の意味や価値を見失い、憧れに思考を支配されながら、

負の循環へと陥っていくことでしょう・・・



僕は自分の大切な作業は何なのかをいつも認識したいです。

何故自分は自分らしくいられるのか?その理由を知りたいです。

自己認識した価値の上に何をしたいか、するべきかを決めたいです。

僕はその作業に没頭したいです。

没頭の中で生じる更なる希望や肯定的思考に耳を傾けたいです。

忙しさや大変さや苦労は、価値ある作業を認識し、遂行してきた自分の過去の蓄積と未来への希望が乗り越えさせてくれます。



僕は障害を持ったクライエントに、自分の大切な作業を思い出してほしいです。

障害に悲観し、一生諦められないであろう元の身体への憧れにだけ、貴重な時間を奪われないように、価値ある作業を再び遂行することへの憧れと遂行で時間を埋めてほしいです。

それを実現するための多彩な技術を持ち、クライエントに提供したいです。



自分の大切な作業ができることの尊さを、クライエントと一緒に喜びたいです。















20101025

原稿用紙に綴った循環への憧れに・・・



昨日は久しぶりに夢をみました。まず一つ目は何と!僕の住む町でF1グランプリが開催されることになりました。僕は開催に先立ち、路面の補修の為の作業員として働くことになりました。そしていざ開催・・・の前に夢が醒めました・・・韓国グランプリを楽しみに頑張って起きていましたが、テレビを付けたまま寝てしまったのが原因だと思います。琢磨に帰ってきてほしいな~

グランプリ終了時間丁度に覚醒した僕は、歯磨きをしてから再び布団にはいりました。その後また夢をみたのです・・・

僕は実習中でした。スーパーバイザーは僕自身でした。僕はクライエントの評価を終えて、目標設定についてバイザーの僕と話していました。するとバイザーの僕は言いました。「主目標は400字詰め原稿用紙1枚に書いてきてね!」・・・「はっ?何言ってんのこの人」僕は言葉が出ませんでした・・・そしてそこで目が覚めました。

そこから僕は眠れなくなってしまいました。夢の中では、このバイザーは何を言っているの?と思った僕でしたが、何だか面白いなぁと思いました。確かに、今自分が担当しているクライエントの主目標を書こうと思えば、僕は原稿用紙三枚は書けます。でも習慣的にある程度の情報を集約して短い言葉で書いているだけなのです。

人間は時間と作業遂行の流れの中で、全く止まることのない存在です。目標も、到達能力のみに焦点を当てれば短い言葉で表現することが可能ですが、僕達がクライエントと共に目指す目標とは、到達能力ではなく”状態”なんだと思います。クライエントが外的・内的期待の元に遂行できる役割があり、没頭できる願望作業を持ち、生活リズムを構成する習慣的作業があり、他者との関わりの元に生み出される心の動きがある・・・そしてそれぞれが良い時もあればあまり良くない時もある・・・・でもその揺らぎは、自己を保つ範囲で収まっている・・・そんな”状態”を目指しているんだと思うのです。実際の業務の中で、原稿用紙一枚分の主目標を綴るのは難しいかもしれませんが、クライエントとどんな状態を目指していくのか・・・言語化し外在化する習慣を付けたいと思いました。







20101024

いずれ訪れる報酬の条件・・・





随分秋が深まってきました。福島の空は夏とは比較にならないほど高く、そして青が薄くなってきました。もうすぐまた、あの厳しい冬が来るのかと思うと少し憂鬱ですが、一面が雪に覆われて、周りのあらゆる音を雪が吸収することで訪れる、耳鳴りのするほどの静寂は嫌いではありません。去年は娘を初めてスキー場に連れていきました。今年は去年よりも溌剌と雪と遊ぶ娘が見られそうです。

あの静寂が少し待ち遠しくなりました。でも真冬の厳寒の時期は反対に、夏の開放性に憧れを抱きます。どちらが良いかなんて議論は無意味です。今を楽しみ、そしていずれ必ず訪れる次の報酬に期待を寄せるのです。普段は意識にものぼらせない”いずれ確実に訪れる次の報酬”が人間には不可欠です。どんな人でも未来の確定的報酬や自己実現予想を意識の下層に存在させています。

クライエントの次の報酬は何だろう。明日の自分に期待することは何だろう。憧れは何だろう。待ち遠しい報酬とは何だろう・・・それを支援するのが僕達です。


第1段階: 生理的欲求(physiological needs)
食欲、排泄欲、睡眠の欲求など「生きること(生命の活動)」と直結した欲求



第2段階: 安全・安定の欲求(safety-security needs)

危険や脅威、不安から逃れようとする欲求



第3段階: 所属・愛情欲求/社会的欲求(belongingness-love needs)

集団への帰属や愛情を求める欲求で「愛情と所属の欲求」あるいは「帰属の欲求」ともいわれる



第4段階: 自我・尊厳の欲求(esteem needs)

他人から尊敬されたいとか、人の注目を得たいという欲求で尊厳の欲求ともいわれる。名声や地位を求める出世欲もこの欲求の一つ



第5段階: 自己実現の欲求(self-actualization needs)

各人が自分の世界観や人生観に基づいて自分の信じる目標に向かって自分を高めていこうとする欲求のことで、潜在的な自分の可能性の探求や自己啓発、創造性へのチャレンジなどを含む。


ADOCは全ての階層段階の想いを聴取・共有できます。各階層段階の想いを共有しチームの力でサポートしながら階層を底上げし、自己実現に向かう!これだ!!!  セルフケア項目にばかり選択が偏ると、上手くクライエントを作業的視点に導けていないと焦っていましたが、欲求段階説と絡めて考えれば説明がつきます。しかも最初から自己実現に向けたビジョンまで共有することができるんです!!入院リハにおけるADOCの使い方が少しずつ自分の中で構造化できてきた気がしました!

肌寒さに身を縮める僕を尻目に、娘は元気いっぱいに2時間走りまわっていました。滑り台を下から登れるようになったと、得意げに僕に何度も見せてくれました。砂場で5月生まれの僕に、砂のケーキを作ってくれて、ハッピーバースデーを歌ってくれました。雪がふったら雪に倒れてレイちゃんの形を作るんだと意気込んでいました。ずっと挑戦的作業や、人を想う作業をしていました・・・次の季節に自分が遂行する作業を楽しみにしていました。






                   ADOC:作業選択意思決定支援ソフト                     








20101023

パラダイム効果の壁・・・





最近、右片麻痺のクライエントSさんとの協業を思い出しました。私が老健に勤務していた頃ですから、もう8年が過ぎました。彼は旅行が大好きで、退所したら奥様と一緒に、まだ行っていない日本の各地を周ることを楽しみにしていました。車椅子レベルで排泄が見守りレベルになり、しばらく期間が経った時、介護スタッフから、もう自立で良いのでは?との提案がありました。しかし旅行が趣味のSさん。右麻痺用のトイレでのみ排泄が自立しても旅行先で困ると思った僕は、職員見守りで、左麻痺用・右麻痺用・職員用トイレをランダムに使用してもらうプランを提案しました。

旅行が趣味で、これから色々な場所で色々なトイレを使うかもしれないからという理由は勿論伝えました。しかし、そのプランは歓迎されませんでした。

その時の僕は、心の中で介護スタッフを批判しました。職員の都合でクライエントの大切な要素を重要視しない態度に憤慨してしまったのでした。

今思えば、明らかに僕の働きかけが不十分だったのです。昔から旅行が大好きで、夫婦でいつも旅を楽しんでいたこと。自分が片麻痺になったことで、妻を旅行に連れて行けないことを、とてももどかしく思っていること。車椅子で旅行に行くにあたり、なるべく妻に身体的負担をかけない交通手段や旅館をいつも雑誌で調べていたこと・・・・様々な彼の想いを僕は発信していませんでした。

専門職はそれぞれの専門性の視点でクライエントを見ています。そのパラダイムを自身の中に持っているからこそ、目の前の現象の解釈が生まれます。同じ現象をみても、どのパラダイムのメガネを通して見るのかによって、見え方は全然違います。自分のメガネで見たものが、伝わらないからと想いを強要するのでは、余計に価値の共有は遠のいてしまいます。

現在、あらゆる医療現場で”連携”という言葉が飛び交います。その手段を模索する時に、必ず”更なる情報の共有”という方程式が暗に出来上がってしまっている印象があります。しかし僕には、飛び交う情報量が決して少ないとは思えないのです。

真の連携とは、情報量で決まるのではないと”今の”僕は思います。ある情報”A”に対する、それぞれの職種が抱く”価値”のズレを少なくすること・・・協業のヒントはここにあると考えています。その為には、表面的な情報量を増加させるのではなく、発信した情報が、クライエントにとって、どのように有益なのか?どのようなクライエントの肯定的変化を生む可能性があるのか?そしてそれは何故なのか?をしっかりと伝え合うことが重要なのだと思います。






20101021

決して作れないもの・・・



昔読んだ書籍の中で、解剖学者の養老孟司先生がこんなことを言っていました。
「作ることができない物は、決して壊してはいけない」
先日祖母の家に行った時に、田舎の自然の中で思いっきり遊びまわる娘の姿を見たときに
上の言葉をふと思い出しました。周りを見渡すと、あたり一面自然しかありませんでした。
人間が作れるもの・・・それは隣りにある僕の車くらいでした。何故か子供は人間の作れないものに強い興味を持ちます。花・動物・虫・光・・・・・自分が支配できないもの・・・でもとても優しいもの・・・そんな環境が心地よく、そして楽しいのでしょうか?社会にしっかりと適応できる子供に育ててあげること、いや育つ環境を与えてあげることは当然重要だと思います。でも大自然の中で、自分や目の前で起こる現象や物質などその全てが、全体の塩基に集約するような感覚をいつも与えてあげたい・・・全てが別々であるけれど、全ては一つであり隔たりなどない感覚を味わえる環境と感受性をいつも共有していたいと思いました。作れないものを大切にする人になってほしいと思いました。


20101019

ファインダー越しに見えた輝きに・・・



これは失語症のクライエントSさんの一眼レフです。今はあまり見ることがなくなったフィルムの一眼です。最初に上手く意思疎通が図れなかった僕は、ADLや機能訓練に加えて、御家族の情報から病前大好きだったヨガを取り入れて介入を行ってきました。SさんはOT室の和室で毎日行うヨガの時間と空間をとても楽しみにしており、毎日一緒に遂行してきましたが、便秘や点眼の時間などを気にして、病棟を歩き回り、頻会に看護師に点眼時間を確認に来るなどの落ち着かない様子が観察されていました。

もっと価値ある作業で時間を埋める必要性を感じた僕は、上手く評価できるか半信半疑ながらも、失語症のSさんにADOC(作業選択意思決定支援ソフト)を使用してみました。満足度や重要度の選択は理解ができませんでしてが、今まで全く分からなかったSさんの一面が沢山表出されました。

家族との団欒が恋しくて仕方ないこと・・・ラジオを聴くのが大好きで、自宅でもお気に入りのヘッドフォンでいつも聞いていたこと・・・写真が大好きで、自慢のレンズを二本もっていること・・などなど様々な想いが単語・短文レベルで嬉しそうに表出されました。内容を御家族に確認すると、やはりSさんから表出された内容に間違いはありませんでした。

御家族にお願いして、すぐに病室にラジオを用意してもらいました。この頃から、不安そうに歩き回ったり、頻会に看護師の元を訪れることが減りました。また、外泊時に、危ないからと禁止されながらも、2階に上がろうと何度も家族に制止されていたSさんの、2階に上がろうとしていた理由が分かりました。御家族から、「先日カメラやラジオの話がありましたが、そういえばお父さんは、テレビやステレオなどの家電が大好きだったので、そこに行こうとしているのかもしれません!」との情報を頂き、次回の外泊時は、Sさんの愛用していた物品を全て1階で外泊時に使用している居室に移動してもらいました。それからは予測できない行動がなくなり、自宅でも自分の時間を楽しむ様子が観察されるようになってきました。

この変化に、今まで意思疎通が困難で、自宅でみることを躊躇していた御家族にも変化が見られ、とにかく入院期間の延長を希望していた奥様から、「来月の中旬に連れて帰りたいと思います」との希望を聞くことができました。

残りの入院期間でADLやサービスの最終的な調整を行いながら、もしかしたら一生触ることのなかったかもしれない大切な一眼で、一緒に美しい秋の表情を切り取りに行こうと思います。

20101018

人生の欠片・・・




先日実家の自然の中で遊んでいると、里芋の葉が沢山生えていました。「トトロの傘だ~」と娘は大喜びでした。この姿を見たときに、僕もこの葉を下から眺めてみたいと思いました。娘を覆い隠す程大きなこの葉の下から、秋の日差しを葉に透かして感じてみました。

娘の喜ぶ姿にとても嬉しい気持ちになりました。でも僕は単に里芋の葉を見て娘が喜んでいたから嬉しい気持ちになったのではありません。一緒に下から覗き込み、鮮やかに日差しを透過する葉の色を共に眺めたこと。何度も何度もトトロのDVDを見て、あの空想の世界に釘付けになった娘を知っていること。色々な物を共有しているからこそ共感できた感情がそこにはあります。だからこそ茎を掴んで満面の笑みを浮かべた娘の気持ちが自分のことのように嬉しく感じました。

クライエントのストーリーを僕は知りたいです。数え切れないストーリーを紡ぎだし、そのストーリーの中を生きてきたクライエントが、その作業にどんな意味や価値を見出してきたのかを僕は知りたいです。それを知った上で作業を共有したいです。それを知った上で協業したいです。それを知った上で共に喜びたいです。

その人が行ってきた作業を知りたいと、作業療法士は言います。でもそれは、その人の人生を知ることと同義なのだということを改めて思いました。同義で使わなければいけない言葉なのだと思いました。

20101017

無数の色彩に重ねた人生の輝きを再び・・・



僕は絵を描くことが好きです。そんなに頻繁には描きませんが、記念日などに合わせて家族の姿を鉛筆で描く事が多いです。これは娘の1歳の誕生日に妻にプレゼントしたデッサンです。絵を描くことは子供の頃から大好きでした。描き方は、父と、そして数年前担当した両側股関節FHRを行ったクライエントに教わりました。

今日は実家に帰ってきました。今日はたまたま父が教員時代の仲間を招いて特性のピザを振舞っており、僕達もそこへ便乗しました。

しばらくして、家の裏道を娘と散歩していると、野葡萄が実をつけていました。野葡萄は僕達をしばらく動けなくさせるほどの幻想的な空気を放っていました。

僕はこの野葡萄を描きたいと思いました。もしも描くならば、一粒々がそれぞれ鮮やかで、他のどれにも似ていない無数の色彩をどう再現するかが何よりも大切だと思いました。構図や葉の形も勿論大切ですが、僕達はこの無数の色彩の美しさに足を止めました。構図や形がどんなに忠実に再現できたとしても、この色彩を再現できなければ、描いた絵からは今日のこの気持ちを想起できないだろうと思いました。形や大きさは少しぐらい違っても、この色彩を表現することができれば、今日僕達の足を止めたという物語を持った野葡萄になるかもしれない・・・そう思いました。

僕はクライエントと一緒にどんな色彩を再現できているのだろうと思いました。彼らが元々持っていた色彩の鮮やかさをもっともっと知りたいと思いました。どんな色彩も再現できる作業療法士になりたいと心から思いました。使える絵の具が足りなければ、元の色に負けない輝きを放つ別の色で埋められる作業療法士になりたいと思いました。自分の色の美しさを忘れてしまったクライエントには、再び美しさに気付いてもらえる作業療法士になりたいと思いました。自分の色は自分の力でもっと鮮やかに塗り替えられることを伝えられる作業療法士になりたいと思いました。





                                             

20101016

食欲の秋 読書の秋 運動の秋 学会の秋?

 学会準備が忙しくなっています。

今日は朝イチでT君のリハケアの準備のお手伝いをしました。午前中の業務を行った後、午後は郡山市文化センターで当法人の院内学会でした。当初予定していた会場までのバス移動はキャンセルし、急遽tiriさんの車に同乗させてもらい、移動の往復をT君のリハケア準備に使いました。夕方病院に戻ってからは、Sさんの学術集会の抄録作りのお手伝いをしました。

みんなで悩みながらの作業ですが、悩み方が実に素晴らしい!!!混乱ではなく、想いは確かにそこにあり、どう紙の上に産み出そうか?そんな楽しい悩み方をしている後輩達に頼もしさを感じました。家事がワークライフバランスのかなりの時間を占める僕の変わりに、いつも後輩達を指導してくれるkiriさんは、溢れる知識と技術と統率力で後輩を指導し、至らない僕をフォローしてくれています。いつもながら仲間に恵まれている僕です。

家に帰ってからは、先日上腕骨骨折をした義母親の治療を行い、子供と風呂に入り、歯磨きをし、ボールと文字カードで遊んで、その後来年の全国学会の演題の構想をまとめました。

自分のアイデンティティを構成する作業において、チャレンジすることができる環境が与えられていること・・・こんなに幸せなことはありません!ウチのチームのみなさん。大変だけどみんなで頑張ろうね!全ては個々の幸せと自信と作業療法への更なる愛情へと昇華します。そしてその全てが明日の協業の糧となります。

20101005

意思のサブシステムが当てにならない僕が、習慣化のサブシステムにほんのちょっとずつ働きかけて意思が揺るがないように禁煙を成功させました(笑)



今回はとってもくだらない内容です!


突然ですが禁煙始めました!


今回の大幅値上げがチャンスと思い一台奮起しました(大げさ・・・)

僕は禁煙外来も禁煙に関する本も読んだことがありません。

しかしただ気合でやめたのではありません!

先月、自分の禁煙を成功させるための計画を練りました!



まず、ニコチン依存は存在しないという前提を強く信じました。

次に考えなければならないのが習慣的依存です!

これが一番やっかいなことは最初から予想がついていました。

そこで、自分の一日を振り返り、絶対このタイミングで喫煙している

という時間・文脈を想起し、客観的に整理しました。

起床時・出勤前・帰宅時・食後・入浴後~などなど項目を洗い出しました。



次に、毎日一つずつ必ず喫煙している時間を我慢することにしました。

今日は入浴後を我慢する・・・

明日は起床時を我慢する・・・

など、比較的我慢できそうな所から始めました。



するとどうでしょう!!!

なんと三日目くらいには殆ど吸いたい気持ちが無くなり

毎日一つずつ我慢するのが回りくどく感じてきたではありませんか!!!



でもそこで欲張って一気に吸うのをやめるのはいけません!

一日一つ我慢するというノルマ以外は吸うことにしました。



喫煙の間隔がだんだん開いてくると、吸う度に頭がクラクラし

全身が脱力するようになっていました!!!

何て身体に悪いことを長年してきたんだろうと痛感します!

そしてたった1週間で禁煙達成です!

今月に入ってから1本も喫煙していませんが

禁断症状はゼロです!



よろしければ喫煙者のみなさん

”侍OT流禁煙法” ためしに1週間どうですか?

20101002

目的と手段

今日は子供と公園に行きました

最近雨続きだったのが

今日は気持ちのイイ快晴でした

普段はニコンのコンデジを持ち歩いていますが

今日は携帯(エクスペリア)にて日差しを撮影







案外キレイに光が収まりました

マクロではボケ味もそこそこでるし・・・

でも室内撮影ではポテンシャルが一気に下がります・・・

やはりデジカメは画素数ではなくてレンズの明るさと

映像素子などの性能が重要です!



僕の主観ですが

コンデジでトータルバランスに優れているのは

フジのファインピクス全般

レンズが圧倒的にイイのは

パナソニックのDMC-LX3(レンズ超明るい!なんとF2.0!ライカのD-LUX4と物は一緒)

次の候補はこの二台!



どっちも値段的には高くないけど

写真屋を営むクライエントSさんが

ソニーのα900マウントに

カールツァイスレンズの組み合わせがサイコ~だぜ~!!! しびれるぜ~!!!

って言ってたのも気になるな~(高いけど・・・)



でも僕は写真が大好きだけど

写真を撮るために出掛けたりはしません

写真撮影は主目的にはなりません

あくまでも日常の作業の中で残したい一瞬をキレイに残す手段です!

だからやっぱりコンデジかな~  迷う・・・


大好きな作業でも

作業的存在としての自分の中で

どのように位置付けられる作業なのかのよって

求めるもの・必要なものは全く変わります



写真を撮ること自体に価値を置くのならば

僕はコンデジでは満足できません

間違いなくすぐ一眼に移行するでしょう・・・

でも色々な物を見て・体験して・感じることが主な目的であり

あくまでもその素晴らしい時間の一部を切り取るという位置付けで

カメラを使用する僕にとっては

一眼は邪魔でしかありません・・・



価値ある作業が他の価値ある作業と

どのような階層的関係にあるのか?

それを共有してこそ

共に取り組むべき内容

提供するべき環境

目指す作業形態

チャレンジする価値

などが分かってくるのだと思います

(α900+カールツァイスには惹かれますけど~・・・)