20100926

主観の中の意味・・・

私は今朝 六時半に"離床"したのではない・・・

六時半から仕事に行く準備をしたのだ

私は今日 数時間"立位"をとったのではない・・・

移動し意思疎通し義務を果たし願望を満たそうとしていたのだ

私は今 "巧緻動作"を行っているのではない・・・

自分の想いを表現したい欲求に駆られているのだ

今目の前にいるクライアントのその"現象"に

作業的存在としての主観的意味はあるか?




目的


義務


責任


願望


習慣




あらゆる私を構成している作業的存在としての要素が

私を動かしている・・・

何か一つを失っても

私のシステムに歪みを生じさせ

しなやかさを失うだろう・・・

主観的意味無き作業の虚しさは

怠惰と遮断を助長し

無限の可能性を秘めた

オープンシステムを負の連鎖に追い込むだろう・・・

還元主義パラダイムが全能の理論ならば・・・

この世に作業療法士は必要ない・・・

油断するとすぐに歪み始める

ガラスのシステムを

いつも肯定的に循環できるよう

様々な作業を様々な意味・価値のもとに皆遂行している・・・

歪が大きくなると・・・

負の循環の中

循環を逆周りさせようとするエネルギーは発動せず

身体的安楽や機能回復へと求めるものは変化してしまう・・・

作業で評価し作業で介入し作業で結果を出す・・・

私自身の肯定的循環を支える最も大切な作業・・・

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